北之幸谷の獅子舞

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 昭和三九年(一九六四)四月二八日、千葉県は、東金市北之幸谷本地獅子連の伝えるこの獅子舞を無形民俗文化財として指定した。
 この獅子舞は、北之幸谷の産土神稲荷神社(寛文一一年(一六七一)の勧請(かんじょう)といわれる)の氏子に伝承された二人立の獅子舞で、小字堀之内宮の前の本地獅子連に加わっている人たちが行ない、特に一八歳から三四歳までの若連が主体となっている。
 獅子舞は毎年定期的に行なわれる。
 先ず二月の初午の日 悪魔払いのために氏子の家々をまわる。
 次は(旧九月一九日)の秋祭 はしご舞が演じられる。はしごには、二匹の獅子がのぼる。
 次は一一月一五日 紐解き児のいる家をまわり、悪魔を払う。
 このうち、秋祭りのはしご舞は、北之幸谷の獅子舞の白眉(はくび)とも言えるもので、この秋だけにしか行なわれないため、土地の人でもなかなかこの機会を失すると見ることは出来ないといわれている。
 演目には、平舞・四つ足・玉釣・はしご昇り・蛇狂・蛙狂・大狂・おそめ・千丈が嶽の子落し・梯子登り・岡崎・剣の舞・平神楽・鳥刺・和唐内等がある。舞方は襦袢、軽袗(かるさん)姿で獅子頭を冠って舞うが、平神楽の場合は幣束姿で神楽鈴を採物として用いた。また、面形(おもてがた)には、おかめ・ひょっとこ・白狐・医者その他を用いた。さらに、囃(はや)し方は篠笛・横笛・締太鼓・小鼓・大鼓・鉦・大胴(おおかわ)などを楽器として演奏したが、曲目には、四丁目・中山・鎌倉などというのがあった。
 祭の当日は堀之内の稲荷神社に神楽を奉納してから、氏子の各家を廻り悪魔ばらいをした。芸能の集団は、古くから「本地獅子連中」と称され、構成メンバーは氏子地域の堀之内・宮ノ前に在住する一八歳から三四歳までの男子を主体としている。獅子舞の後継者は昔は村に生まれた長男と限られていたが、今はその制限もなくなっている。
 この獅子舞の起源は不明である。しかし、現在の型は九十九里町西野から伝承されたものだといわれている。なお、昭和三九年(一九六四)三月刊行の「千葉県文化財調査報告書(県教育委員会編)」に高橋在久氏は、
 
 「千葉県の数多い獅子神楽のうちでも、特殊なものに代神楽とよぶ芸能がある。北之幸谷の稲荷神社氏子に伝承された二人立のこの獅子舞は、鹿野山の代神楽と並び典型的な存在である。……中略……千葉県の芸能史上価値高く、とくに古風な地方的な特色を伝えている点は貴重である。」
 
 と高く評価している。

獅子舞


はしご舞