毎年旧暦九月一九日に、小野鎮守の六所神社神前に奉納され、獅子頭をかぶり、囃子にあわせて各戸を巡りあるき、五穀豊穣・悪魔払いの舞をするものである。
風流系の獅子舞で、三人一組(雄獅子・雌獅子・子獅子)で、そのいでたちは、華やかな襦袢、軽袗(かるさん)をつけ、黒塗り長方形に軍鶏(しゃも)の羽毛をさした獅子頭をかむり、腰に色紙の幣をさして舞うのである。羯鼓舞は昔は羯鼓(かっこ)をつけて舞ったようであるが、今は羯鼓はつけていない。
舞には、横っとび、道中、四方がかり、なつみ、ふくみ、こぐり、おおぐり、から、一本つるぎ等があり、楽器は、横笛・篠笛・締太鼓・小鼓・大鼓・鉦で編成されたもので、楽士が音楽をかなでる。囃子(はやし)曲には、中山、中山くずし、しりふり、その他がある。
これらの舞の諸道具は、平素、鶴岡俊昭氏(小川戸)の保管するところであるが、当日の朝になると、関係者が鶴岡氏宅に参集して、ここで着装、準備完了と共に先ず鶴岡家で舞い、舞い終ると、六所神社に参詣して、この神前で舞う。
それから、地域内の社寺および一軒一軒の家庭を訪れて、祈りをこめて舞うのである。
全地域を一巡するとふたたび、鶴岡家に帰って関係諸道具をおさめる。これを「花おさめ」と呼ぶ。
羯鼓とは、雅楽の中の唐楽に用いる打楽器で、俵型の胴の両側に鉄輪に張った皮をあて調緒で互いにしめたものを、左右の手にもった細長いばちで皮の両面をうって音をだすのであるが、この羯鼓が使用されなくなった時期は明らかでない。
なお、六所神社の祭神は、伊邪諾命(いざなぎのみこと)・伊邪冉命(いざなみのみこと)・天照大御神・素戔嗚命(すさのおのみこと)・月読命(つくよみのみこと)・蛭子命(ひるこのみこと)の六神のようである。
獅子舞の起源は定かではないが、江戸時代後期に始められたものと推定されている。現在の九十九里町藤下の八坂神社から伝来したとも伝えられている。
東金市は、昭和五五年(一九八〇)一二月一日、これを無形民俗文化財として指定し長く保存伝承しようとしている。
なお、この羯鼓舞の伝来について、「文化財指定申請書」には左のごとく記されている。
「起りは年号時代ともに定かでないが、古老の言によると、現九十九里町藤下部落を師匠として神楽を修め、産土神六所神社・天満天神の祭事として、五穀豊穣・悪魔払いを祈願し、毎年春二月三日の毘沙(びしゃ)及び秋祭の日に行なわれていたが、現在秋祭のみ行なわれている。明治初期に一部(郷谷・岡谷・楠)が獅子舞に転じて以来『表谷羯子連』となる。」
表谷羯子舞(六所神社前)