極楽寺古墳群

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 考古学の研究にその名の知られている川戸彰氏は、「東金市の古墳」の中で、
 
「私達は家之子(便宜上松之郷井戸谷古墳を含める)・油井古塚原の両古墳群に、極楽寺古墳群を加え、東金市内における三大古墳群として世に問いたい。又この三大古墳群を背景に大きな古代村落も拡がっていたように思う。恰も三角形の頂点を形成する如く分布している事が頗る印象的である。」
 
とのべているが、極楽寺古墳群における古墳の数からいって、大古墳群の一つであることは否定できない。
 東金に九つの古墳群があるが、前方後円墳をもつものは、家之子・井戸谷・油井古塚原とここ極楽寺の四つであることも、東金市の古墳研究の上から重要である。
 極楽寺は、八街町のある印旛郡と、山武郡との郡境であり、広範な下総台地の一角ではあるが、境川と呼ばれる作田川の上流にあって、その水源地であり、作田川の浸蝕する樹枝状渓谷が複雑に台地を浸蝕している水耕地帯でもある。
 ここに一大集落が存在していたことは、極楽寺(東金市)上布田(東金市)武勝(山武町)などの貝塚遺跡もうらづける所であって大古墳群の存在も理解に難くない。
 なお、「菅谷郷」の一つの中心地であったのではないかとの見方も成立するという。古墳の分布状態は次の通りである。
 この古墳群には、二つの前方後円墳が、前方を西に向けて約三〇〇メートルの距離にある。そのうち西にある15号墳は規模が最も大きく、長さ四〇・五メートル、高さ二メートルというものであるが、これをとりまく、13 14 16 17は円墳の中でもいずれも大きいものであって、25号墳とやや趣きを異にしている。
 中でも14号円墳は直径三〇メートルというもので、高さは〇・九メートルしか現在はないが、いずれも畑の中にあるので削られているようである。
 21号墳から26号墳は山林中にある。その形式および大きさは次表を参照されたい。

 

 
古墳番号 形式 大きさ 備考
長さ直径 高さ
1 19m 0.6m
2 24.5 1.0
3 22.5 1.2
4 21 2.2
5 15 1.2
6 24 2.8
7 16 1.0
8 16 1.5
9 15 1.7
10 15 1.5
11 17 1.7
12 25 1.0
13 23 1.2
14 30 0.9
15 前方後円 40.5 2.0
16 26.5 1.5
17 28 1.7
18 17 1.0
19 15 1.8
20 17 1.3
21 22 2.3 山林
22 27 3.0 山林
23 15 1.1 山林
24 21.5 1.8 山林
25 前方後円 28.5 2.0 山林
26 23 1.3 山林