家が数軒道路をはさんで建てられているが、この聚落の切れたあたりは、東金市と成東町との境界になる。
この道路を成東町湯坂に向う右手は水田であり、左手は丘陵になっている。地図で見ると舌状形に北東につき出た丘陵なのである。
この台上に、七つの円墳が、ほぼ一塊(ひとかたまり)になって存在している。台上は勿論畑である。
この天野古墳群から西南西には、家之子古墳群がある。この家之子古墳群には七四基の古墳があり、六~七世紀に、相当大きい集落があったことと察することができるが、この家之子台地と地続きの天野台地は、家之子台地から、水田地帯の近くへと住居を求めたいわば「新田」にあたるのではなかろうか。
その古墳の大きさは次表の通りである。
六号円墳が大きく、それにつづくものは七号円墳で、共に台地の東端にほぼ並んで作られている。
古墳番号 | 古墳の形式 | 大きさ | 備考 | |
長さ直径 | 高さ | |||
1 | 円墳 | 20m | 0.6m | 畑地 |
2 | 円 | 30 | 1.2 | 畑 |
3 | 円 | 20 | 1.0 | 畑 |
4 | 円 | 30 | 1.6 | 畑 |
5 | 円 | 24 | 1.0 | 畑 |
6 | 円 | 35 | 2.1 | 畑 |
7 | 円 | 33 | 1.6 | 畑 |