大豆谷古墳群

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 東金から千葉へ向かう国道一二六号線が、一二六号バイパス線と合する台方のはずれに、「台方一丁目」とよぶ京成バス停がある。
 ここで下車して右手に入ると、水田の入江があり、その水田の両側に家屋が点在する。大豆谷(まめざく)とよぶ集落であり、佐藤信渕がここに住んで各種の著述にはげんだ地域である。
 この水田の東側の道はやがて、山道となり坂となる。
 この坂を上り切ると、大豆谷台地になる。徳川家康の作ったという「御成道路」は、この道であるという「大豆谷通過説」がある。
 この坂の左手の山林中に、白山神社があり、台地を形成しているのであるが、ここに七基の古墳が発見されている。
 七基といっても、うち三基が、白山神社の近くにあり、他の四基は、それより西、約三〇〇メートル程へだたったところに点在している。これを図示すると次の通りである。

 

 ここは一つの方墳と六つの円墳から成っていて、方墳は図示の通り二段築成である。
 この古墳群の中の最大のものは4号円墳であり、次いで2号円墳である。
 調査に当たった川戸彰氏は、
 
「本地方においては時折、方形状を呈する供養塚がある。しかし、実際調査に当っては、その識別が極めて困難である。大豆谷古墳群中の3号墳も供養碑(江戸時代のもの)が存する点、後世の営造にかかるものかも知れない。また、これが円墳とどのような関係にあるか究明せねばならぬが、これも今後の問題点の一つである。」
 
という。
大豆谷古墳群の形式大きさは次表の通り。
 
古墳番号 形式 大きさ 備考
長さ直径 高さ
1 16.5m 3.1m 山林
2 21.5 4.0 山林
3 18.0 4.0 山林 2段築成
4 26.5 4.0 山林
5 13.0 4.8
6 15.0 3.0 山林
7 18.5 3.7 山林