ここで下車して右手に入ると、水田の入江があり、その水田の両側に家屋が点在する。大豆谷(まめざく)とよぶ集落であり、佐藤信渕がここに住んで各種の著述にはげんだ地域である。
この水田の東側の道はやがて、山道となり坂となる。
この坂を上り切ると、大豆谷台地になる。徳川家康の作ったという「御成道路」は、この道であるという「大豆谷通過説」がある。
この坂の左手の山林中に、白山神社があり、台地を形成しているのであるが、ここに七基の古墳が発見されている。
七基といっても、うち三基が、白山神社の近くにあり、他の四基は、それより西、約三〇〇メートル程へだたったところに点在している。これを図示すると次の通りである。
ここは一つの方墳と六つの円墳から成っていて、方墳は図示の通り二段築成である。
この古墳群の中の最大のものは4号円墳であり、次いで2号円墳である。
調査に当たった川戸彰氏は、
「本地方においては時折、方形状を呈する供養塚がある。しかし、実際調査に当っては、その識別が極めて困難である。大豆谷古墳群中の3号墳も供養碑(江戸時代のもの)が存する点、後世の営造にかかるものかも知れない。また、これが円墳とどのような関係にあるか究明せねばならぬが、これも今後の問題点の一つである。」
という。
大豆谷古墳群の形式大きさは次表の通り。
古墳番号 | 形式 | 大きさ | 備考 | |
長さ直径 | 高さ | |||
1 | 円 | 16.5m | 3.1m | 山林 |
2 | 円 | 21.5 | 4.0 | 山林 |
3 | 方 | 18.0 | 4.0 | 山林 2段築成 |
4 | 円 | 26.5 | 4.0 | 山林 |
5 | 円 | 13.0 | 4.8 | |
6 | 円 | 15.0 | 3.0 | 山林 |
7 | 円 | 18.5 | 3.7 | 山林 |