「品種は姥彼岸で糸桜の変種とされているが、実は姥彼岸(うばひがん)が糸桜の母種である。この花は初め桃紅色でしだいに紅白色となる。紅色の姥彼岸の名木は全国的にも数少い。
伝説に、治承四年(一一八〇)平重衡(しげひら)が奈良を焼討ちにし、東大寺も炎上。文治二年(一一八六)俊乗坊重源は再建を志し、西行(元永元年(一一一八)-建久元年(一一九〇))が陸奥の豪族藤原秀衡と同族であることに着目し、平泉までの砂金勧進の旅を依頼した。西行は当時の山城の国紀伊郡深草の墨染桜の枝を杖とし、赤人・小町をしのびつつ、この地に来て負(ふ)神(貴船大明神)を安置し、傍にかの杖を地にさし、
深草の野辺の桜木 心あらば
亦この里に すみぞめと咲け
と詠じて去った。この杖が芽をふいて、いわゆる墨染桜となり、今日に至ったと伝えられている。」
このことは「伝説」の項にも記されており、このいい伝えをそのまま信ずることは出来ないが、附近にその例を見ない名木とし、春ともなれば道端のこの桜樹が道行く人の心を慰める見事な花を咲かせていることに鑑み、この桜樹を永く保存したいと土地の人たちは考えた。市は昭和五一年(一九七六)九月一六日この樹を市指定の天然記念物に指定した。なおこの樹の所有者は貴船神社である。
墨染桜
所在は東金市山田字山中台三二五番地である。