日吉神社の表参道の両側に見事な杉が立ち並んでいる。
鳥居をくぐった地点から杉並木は始まる。御神木として〆縄の結ばれた夫婦杉を始め、やどり木のある老杉等がすぐ目につく。
参道は始め階段であり、その後は平坦地が続く。その参道は長さ二〇〇メートル程であるが、参道の道幅は約二・七~三・〇メートルである。この参道の両側に三九本の杉があるが、本篇天然記念物の項にのべてある通り、右側の方が三本多くなっている。
樹周は殆んど目通り四メートル位で亭々とそそり立つ樹は昼なお暗しといった感であるが、その奥にかすかに日吉神社の社殿を見ると、神々しい壮厳さに襟を正さずにはいられない。
調査によれば、
○本数……二〇〇メートルの参道の右側に二二本、左側に一七本。計三九本である。
○樹高……最高三八メートルで、他の三八本もほぼこれに準じ、遠望すれば殆んど一直線に頂高が並んでいて、青空を画している。
○樹周……最大目通り五メートル三〇、四メートル以上のもの十数本という。
○樹齢……三五〇年以上と推定されている。
○樹相……二本が一体となった夫婦杉、何百年間の間に変ったやどり木をもつ杉、烈しい風雨に耐えてたくましい根を張り、太枝を高く打ち交わした様は正に驚異である。
(なおこのことについて、昭和一一年中山音弥氏の調査では、最大のもので高さ、二八・八メートル、地境いの周五・九七メートル、目の高さの周四・八九メートルと報告されている。)
この杉の育苗は、挿木によるものでなく、地杉の実生苗で、吉野杉系統のものと、専門家は言っている。
これらのことから考えるに、徳川家康が二度目に東金御殿へ来遊の折、それは元和元年(一六一五)一一月一七日であるが、代官高室金兵衛に、日吉神社の社殿を再興せしめているが、(志賀吾郷著「東金町誌」による)恐らくは、この杉並木はこの頃植樹されたものであろう。
徳川家康が東金御殿まで一夜にして作ったという御成街道-一説には日吉神社前の道ともいうが-には、今から数十年前までは松並木の名残りが所々に見られたが、松並木は全く見られない今、江戸時代を偲び、江戸時代の信仰を考察することのできるこの杉並木は、東金の名勝として長く市民の誇りとして残したいものと考える。
日光の杉並木・箱根の杉並木のような延々と続くあの偉観はないが、一本一本の樹は、決して勝るとも劣るものではない。この参道杉並木は、東金市の誇る貴重な文化財ということができるであろう。
昭和四四年一〇月一日、東金市は天然記念物としてこの杉並木を指定している。
所在は、東金市大豆谷八六〇番地である。