八坂神社は、正応二年(一二八九)に久我城主北条久時の勧請(かんじょう)によると伝えられているが、詳細については神社の項を参照されたい。
この欅と銀杏は、神木といわれた杉の樹とともに遠く九十九里の海上より望まれ、出漁した漁民の漁労の帰路の目安でもあったという。
今は、周辺の樹木の成長いちじるしく、一際(ひときわ)目立つ大木といいえないようであるが、昭和の初期には、城山の三本杉、鴇が嶺の大松、平蔵台の灯燈松などとともによく古老が語ってくれたものであった。
これらの樹木は城山の杉一本を残して、殆んど枯死している。ちなみに、鴇ケ嶺の大松は、昭和一一年(一九三六)に、平蔵台の灯燈松は、同じころに枯死してしまった。識者から惜しまれたことはいうまでもない。
東金市教育委員会は、昭和五三年(一九七八)一一月八日、市の天然記念物として、この欅・銀杏の各一樹を指定し、保護する立場をとった。
なお、「東金市の文化財」には、
「銀杏は公孫樹とも書き、イチョウ科の落葉高木で、目通り三・七〇メートル、高さ約二〇メートルを測り、雌株で秋季には結実する。
高さ約五メートルのところから、欅のやどり木が寄生しているのも珍らしい。
欅はニレ科の落葉高木で、古くは槻とよばれた。目通り四・一五メートル、高さ約二〇メートルを測る。」と紹介している。
所在は東金市松之郷字東本郷一二六九番地である。
八坂神社の欅