最福寺の庫裏から本堂に通ずる渡り廊下の一角につりさげてある。
「喚鐘(よびがね)」は、仏事執行を告げる鐘をいう。この喚鐘は模造朝鮮鐘といわれているが、鐘の周囲には、ぎっしり文字が刻まれている。
即ち、
南無妙法蓮華経(陽鐘)
時代 日晴
上総州山辺郡東金 安国山西福寺常住(陽鐘)
奉寄進喚鐘
帰寂本立院法寿日玄
為追善
逆修覚受院貞寿日豊
元禄六癸酉年十月十六日(陽鐘)
南無妙法蓮華経
願主 木村市右衛門尉秀閑 本光院有慶日行敬白(陽鐘)
冶工
摂州大阪之住
仏具屋勘右衛門作
とある。元禄六年は一六九三年であるから、約三〇〇年前に寄進されたものであり、鋳工は大阪の仏具師であることがわかる。
付記
最福寺については本巻「宗教篇」の寺院の項を参照されたい。