「民話」これを広辞林をひもとくと、
「その民族が持つ話。民族固有の生活感情を素朴に反映した話。」と書かれている。
また、「伝説」については、
「口づたえ、または文書によって伝えられた過去にあったとされる事実。具体的な事物、たとえば沼・木石・土地・建物などに結びついて語られ、その事実性が民間に信じられている点が特徴。いいつたえ。かたりつたえ。」と説明されている。
東金市には、言い伝えられた「伝説」は幾つかあるが、「民話」は案外少い。
少ないと言うより、いつの間にか忘れられ、語られなくなってしまったのかも知れない。
作家の三好京三氏は、「伝説とわたし」--祖父のむかし語り--に
「わたしは、現代のすぐれた民話・伝説作家たちが、非常に意欲的に、むかしの物語りの再活、再構成に力をそそいでいるのを、実にすばらしいことに思っていた。
そして、集落にそういう人間がいた時に、そこは民話の宝庫となり、いない時に、物語りを持たぬ味気ない寒村となったのかもしれないと思う。」
と述べておられるが、「伝説・民話」の発掘・再構成の必要性を感じている者が非常に多いように思う。
各地の伝説を調べてみると、類似したものを多く見うける。
大別してみると、
ア 英雄・美女等に関するもの
イ 宗教・縁起に関するもの
ウ 動物譬喩(ひゆ)や歌謡に関する詩趣豊かなもの
エ 地名・名木等の日本独特なもの
オ その他の特殊なもの
となる。
ある人は、英雄伝説・機姫伝説・居所伝説・城跡伝説・埋蔵伝説・宗教的縁起伝説・墳墓伝説・呪咀伝説・天狗伝説・入悟伝説・怪奇伝説・湧泉伝説・人影伝説・動物譬喩伝説・歌謡伝説・歌舞伎伝説・俚諺説明伝説・地名説明伝説・地名縁起伝説・事物説明伝説・准天然伝説・名木伝説・堕胎伝説・民間風俗伝説・縁起伝説・渦巻伝説などと名をつけている者もある。
しかし、一口に伝説といっても、本当に伝説といえるものもあり、伝説のようではあるが、伝説でないものもあって、いろいろである。また、史実と伝説との区分はどうなるかなどは学問的には大変むつかしいもののようである。
何れにしろ、すばらしい民話、すぐれた伝説は後世に語り伝えたいものである。
ところで、民話と伝説とを比較したばあい、どのようなちがいがあるだろうか。民話は「むかしむかしあるところに、おじいさんとおばあさんがあったとさ」というような語り口で話されるもので、時と所と人とがいずれもはっきりしていない。「あったとさ」だから、はっきりしない話、つまり、フィクションであるということで、リアリティを欠く話だということになる。だから、民話は文学だといってもよい。それに対して、伝説は時と所と人とが、事実性を強調するごとき形をとる。「あったとさ」という漠然たる態度でなく、「あったのだよ」という断定的ないいかたをしようとする。人の名も何のなにがし、所も何という国の何というところ、時も何時代何天皇の代といおうとする。つまり、これはほんとうの話ですよと、人に信じさせようとする。ノン・フィクションの立場をとろうとする。すなわち、伝説は文学よりも歴史の立場に立とうとする。民話とのちがいはここにある。
民話はより文学的であり、伝説はより歴史的なのである。しかし、説話という点では共通性を持つ、説話であるが故に、両者には近似性がある。そのため、話によっては、民話であるか伝説であるか区別しがたいものも出て来るのである。民話も伝説もその作者は分からない。ただ、昔から民衆の間に語り伝えられてきているのである。民話も伝説も作者は特定の個人ではなく、名もなき民衆であるから、民衆の精神というものがおのずから表現されることになる。そこに深い意味があることになる。