村田というのは、固有名詞ではない。「村の田」即ち村有田ということである。
田間耕地は一等地として古くから評価されていた。その一角に一枚の村有田があった。
ところが、いつの頃からか、この田を作る者がなく、毎年雑草や稗であれはてたままになっていた。
それもそのはず、この田を作るとたたりがあるといわれていたからである。
「○○さんは作ったその年に死んだ。」
「××さんは屋根にのぼって雨もり修理中にころげおちて大怪我をした。」
そんな話が沢山伝えられて、誰いうとなしに、
「あの田をつくると、ケチがつく。」
といわれるようになったからだ。
ある年のこと、
村の若者たちの集りで、一等地を無為(むい)に遊ばせておくのは勿体ないという話から、
「ケチがつくというのは迷信だ。」
「若い者全員で協力して田仕事をしよう。」
「収穫は村の行事の時に使おう。」
ということが決定、それでも気味悪がる人もあるところから、田仕事に入る前に神主さんを招いて「おはらい」し、田や若者の心身を「清め」て、荒れた田を美事美田へとつくりかえたのである。
ところが、その年の夏、稲の穂が風になびく時、青年の一人が伝染病にかかって苦しんだ。幸い生命に別条がなく、元気に快復して一同ほっとしたのであるが、何とも気味の悪い田だとして、その後は作ったものがないという。
どの辺の田か、今は知る由もない。
このことについて、古老はこんなことを付け加えている。それは、この村田は、もとは個人の所有であったが、この家の姑が大変きびしい女性であって、嫁を大分いじめたと言う。なくなくも一生懸命働いていた嫁は一子をさずかった。孫が出来たのだから、嫁いびりはなくなると近所の人は見ていたが、孫が泣くといっては叱り、いたずらしたといってはおこり、嫁のしつけが悪いといっては乱暴した。嫁は子供を背に田畑の仕事をしていたが、ある日、田の中に顔をおしあてて死んでしまった。子供を田のあぜの籠の中に残したままで。
多分この嫁の霊が田にうつり、この田を作る人にたたりするのであろうと伝えられている。