雨がえるは、雨が降り出す前によく啼く。丁度、雨を予報するように啼き立てるのはどうしてだろう。
このことについて公平地区姫島(公平地区は殆んど東金市、ただ姫島のみ成東町)にこんな話が伝えられている。
雨蛙は、親のいうことをきかないで、事毎(ことごと)に反対していた。親蛙が左といえば、雨蛙は右、黒というと「いいや白だ。」といって、始終親を苦しめていた。
雨蛙の母親は、臨終の時、子蛙を枕もとに呼んで、「私が死んだなら、死がいは川辺に埋めてくれるよう。」と遺言して、息をひきとった。
母蛙の考えでは、「いつも、何でも反対する子蛙のことだから、こう言っておいたら、きっとなきがらを山に埋めるであろう。」
ということであった。
子どもの雨蛙は、母を失った悲しみに、しばらく泣きぬれていたが、
「自分は今まで、何事も母蛙の言うことにそむいて来た。本当に申しわけなかった。せめて、この度の遺言だけはそむかず守ってやろう。」
と、その死骸を、川辺に埋めたという。
とうとう子どもの雨蛙は、終始一貫して母蛙の意志にそむいたわけである。
今、雨蛙が、雨が降り出そうとする頃、やかましくなきたてるのは、「お母さんの墓が川辺にあるので、雨が降って、水が出て、その墓が流れてしまいはせぬか」と、心配のあまりに啼くのだという。
姫島区の伝説(民話といった方がよいかも知れない。)であるが、東金市家之子と接しているので、ここに記録した。
筑前地方にも、これと同じような話があるという。
「日本伝説・上総の巻」(藤沢衛彦編)中の一節を参考までに記す。
「筑前地方にも、之(これ)と同じ譬喩譚(ひゆものがたり)があるといふ。そして、好んで人の言に反対する人を『山川さん』といふさうだ。
又、加賀金沢地方では、雨蛙を蟬につくつて『墓が見えぬ。見えぬ。』と鳴くともいふ。
其、雨蛙を、山といへば川といふやうに、何事によらず反対する動物に譬(たと)へる話は、恐らく里俗一般にいふ天邪鬼(あまのじゃく)の性質を、雨蛙(天反へる)の上に転訛(てんか)したのであろう。以下略。」
※天邪鬼とは意地悪の神様で、何事にも反対して、他の神々を苦しめたといわれている。