山口村(東金市山口)養安寺村(大網白里町養安寺)は相隣りする村であり、明治に入ってからは大和村として一行政区に入っていた。昭和二八年(一九五三)、大和村は分村して現在のように東金市と大網白里町に離れたのである。
この両地の守護神として養安寺村に蔵王様とか蛇王様とかよばれている御嶽神社がある。地元の人々は、この御嶽神社は、ひび・あかぎれ治癒(ちゆ)の神としてあがめ、いつしか、病気治療の神として、身体の安全を祈り続けて来た。伊藤左千夫の小説「春の潮」にもこの神社が登場してくる。
ひび・あかぎれで苦しむ人が、ここにお参りし、社殿の手袋をおしいただいて手に嵌(は)めて祈ると、ひびあかぎれが直ると言い伝えられているが、このことが開業医師の立たない地と言い伝えられるようだ。すなわち、ご利益のある神の守ります地に、治療機関をひらくのは恐れ多いということと、土地の人々が医術より神だのみで治癒しようとすることから医者を訪れる患者の数が少なく折角開業しても生計を立てることが出来ないということらしい。
事実、山口村に医を業とする人はないし、過去に遡(さかのぼ)ると、あっても一代限りで廃業しているようである。このことは、その家のそれぞれの都合によるのであろうし、人口も少ない農村ということに基因するのでもあろうが、ここではその原因にはふれずに置く。
「御嶽神社、本村養安寺に鎮座し、祭神は廣国押武金日命(みこと)にして、創立の年月日詳(つまびらか)ならず。毎年陰暦正月、九月の二十六日を以て例祭とす。伝へ云ふ、人皇六十代醍醐天皇の延喜十六年、僧日蔵なるもの、大和国吉野郡金峰(きんぷ)山より遷座せしものなりと。当時より、蔵王大権現と称せしが、明治三年(一八七〇)三月宮谷(みやざく)県の令達に基き、御嶽神社と改称せり。
社域丘陵の上に位し、雑樹欝蒼として繁茂し、頗る幽邃(ゆうすい)なり。」(山武郡教育会編「山武郡郷土誌」三三五頁大和村の部より)