江見水蔭書くところの鶏飼姫の話は、著者が文末に「最後に臨み、高橋鳴鶴氏の房総叢書を引用せる多きを同氏に向って感謝します。」と結んでいるが、筆者もコピーしたものを読み、こういう話が嘗(かつ)て作られて発表(多分雑誌であろう)されているのを知った。コピーによると、「一」から「十二」までに分けられ、挿絵入りで一一〇ページから一三五ページにわたる長篇である。
「山という山の無い国、其(その)下総に接している上総の山辺郡、東金城の裏手の岡続きには、同じ高さの雑木の岡が幾個も幾個も重なり合う様に連なっている。これでも此辺では山という名で呼んでいるのだ。
その高台の殿廻りと呼ぶ近くは、栗の樹が殊に多く繁っていて、人里には遠く、通路は細い。野萩苅萱(のはぎかるかや)などの間から、猪や鹿などの飛出すのは、決して珍らしいことでは無い。それを、其の猪や鹿に非ずして、突然木立の間から、美しき上臈(じょうろう)の立出たのを見出した栗拾いの里人は、却(かえ)って夫に目を驚かした。
『あの美しい虫の垂れ衣、塗笠の下なるお顔は、はっきりとは見分け難いが、どうやら見たことの有る様な御方様』
と栗拾いの老女の一人は、落栗を拾い入れた籠を抱えて云った。」
こんな書き出しで綴られた美しき上臈こそ主人公の鶏飼姫なのである。
この姫は東金城主酒井備中守敏房の妹鶴子姫といった。戦国の世のならい、いつ戦になるかも知れぬ時代だったから里人は兵糧あつめの栗拾いをしていたが、鶴子姫は鷄をかうことを考え、鷄を飼う家を求めて城からぬけ出して来たのである。老女津乃女は姫のあとを追い、姫からこの話をきいて一緒に鷄を飼っている家を探し出そうとした。鷄の鳴き声をたよりに二人は山深くわけ入ったのである。
「『あれを見たか』
『見過ぎて未だ眼の先がチラ/\する』
『東金の酒井殿の姫君じゃのう』
『唯見たばかりで溜(たま)るものか』
『と言って何んと出来よう』
『いや、それか出来るのじゃ』
山神のほこらの中から出て来て語り合うのは、此の頃上総下総に滅切(めっきり)ふえた野武士、それもよい格になると、真の武士にも劣らぬが、斯うして山中をうろ/\する奴に碌なのは無い。」
こうして老女は追い払われ姫は男たちにかつがれて山中深くつれこまれた。
この姫を救ったのは、鷄飼いの雪作であった。雪作は鄙(ひな)にはまれな美男、いずれ由ある人の子孫でもあろうか。
とも角助けられた姫は雪作に従って鷄を見に行ったが、その鷄舎には鶴子姫と瓜二つの雪作の妹小織が、老女津乃女を助けて介抱していた。
鷄について話し合う鶴子姫の目は、雪作にすいつけられ、女心は胸を高鳴らせるばかりであった。
実はこの雪作、小織兄妹は、下総国堺の城主石橋三河守親冬といって、酒井小太郎定隆がうちほろぼした家であり、石橋の息女泰姫は定隆の為に捕われて、後定隆の正室として東金城二代の城主隆敏の毋となったというから、鶴子姫とこの兄妹は血縁の間柄になっていたようであり、瓜二つという相もまたうなずかれる所である。
当時土気酒井と東金酒井との間には多少の争いがあった。土気では「東金は二男の血統、こちらは長子の直系」といい、東金では「土気は妾腹の子、こちらは正室の子孫」という争いだったが、臼井の城主原式部太夫はこの仲違いを心配して、仲裁に入って来た。そして土気の分家板倉大蔵に東金の鶴子姫を配しようとしたのである。
兎角の紆余更折(うよきょくせつ)はあったものの結局は吉日をえらんで結婚することになった。
その結婚の日、鶴子姫は姿を消したのである。「どこへ行かれたのか」城中では大さわぎになった。しかし、鶴子姫は見えなかった。老女の津乃女は「おおそうだ。」と鷄飼の家を尋ねた。多分そこに行ったのだろうと思ったからである。しかし、そこにも鶴子姫は見えなかった。そればかりか、雪作の姿もなく、ただ一人小織が兄を心配していたのである。
津乃女は、小織と話しあったが、時間はたつばかり。その時津乃女の頭にひらめいたのは小織を替え玉にして嫁(とつ)がせることだった。
わけを話して小織にたのんだ。小織は、自分の家柄が堺城主であったことから、そうした玉の輿を望んでいた。だからこれを承諾して板倉大蔵にとついだのである。
替え玉は見破られなかった。板倉大蔵と小織は仲むつまじい生活にあけたが、いつか里見方と板倉方が不和となり、小織は人質として里見方に行った。そしてその結果、豊臣秀吉に組した里見と北条に味方した酒井との戦が始まった時、人質となっていた小織は殺害されたという。
鶴子姫の行方はどうしてもわからなかった。
この話の最後は次のように結ばれている。
「この悲劇をよそに、上総木更津の町はずれに、鷄数多(あまた)飼うて世を安らかに送る夫婦があった。
これぞ、真の鶴子姫と雪作との忍びの住居と知るものなしに打過ぎた。真の鶴子姫は、こうして平和の間に幸福なる生活を送り、天寿を全うして終ったという。今尚此地鳥飼を姓とする家あり、祖先を此の鶴子姫とするや否や、著者の詮索(せんさく)は其所までに至って居らぬ。」