権限様お茶の水井戸

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 東金市田間字峯下に、「権限様お茶の水井戸」と呼ばれているところがある。
 それは、「東金青年の家」の建っている平蔵台の東麓、東金蓮沼街道--砂押県道・御成新道・砂押新道などと土地の人は呼んでいる--が、国道一二六号線と分かれる附近にある。
 山ふもとの湧水と地下水がこの井戸の水であろうが、深さ三メートル、周囲四メートル程の井戸であって、壁は岩が積みあげられたもので井戸わくはない。
 嘗(かつ)て、この井戸は子供たちが落ちたら危険であるということで、これを埋立てようとした者があったが、古老に井戸のいわれを聞かされ、そのまま保存することにしたと言われている。
 現在猪野家の地籍にあるが、この猪野家は酒井氏の家中で二百石を領していた猪野新左衛門の後えいに当たるという。
 徳川家康は、東金御殿に何回も足をはこんでいる。そして鷹狩りに興じたといわれるが、果して狩猟のみが東金へ来た理由であったかどうか。
 それはとも角として、この井戸のあるところは御殿から二・五キロメートル程離れている。狩猟は原野に出てのことだから、原野に出る前に、「お茶」を猪野家に所望したらしい。
 猪野家では、謹んで井戸の清水でお茶をたて家康公にさし出したものと思われる。
 とも角、井戸の水がお茶に適していて、美味であったに違いない。
 この家康公お茶の井も、数年前、降り続いた雨に地盤がゆるんで、山肌が崩壊し、流れ出た土砂によって埋り、今なお埋まったままになっている。ただ井戸の中心部あたりに、丸い竹が目印のように立てられているに過ぎない。
 田間地区は、今でこそすべての家に水道が引かれ、井戸水にたよっている家は殆んど皆無といえるが、水道がひかれるまでは、もっぱら井戸水を利用していた。
 ところが、この田間地域の地下には二つの水みちがあるようで、一つは国道一二六号線より西の山添いの地の流れと、今一つは国道東側のたんぼよりの地下の流れとである。
 山側は清水も豊富であり、井戸水は清い冷たい水であるが、たんぼ側は、水が茶褐色をしていて、鉄分が多く、純白の手拭も二日位で茶色に色づく程の水であった。当然、後者の家々には、井戸の側に「こし水」の装置がつくられ、茶色の水をこして無色透明な水にして使用したもので、多量の水が必要な時は「もらい水」をしたものである。家康公お茶の井が山側であることとあわせうなずけるであろう。