雄蛇が池、それは大和・養安寺(大網白里町)地域にまたがっている大きな池である。
この池には雄の大蛇がいて、殆んど池底深く住んでいて、姿を見せないが、雨の神様として、日照り時には近隣の人人はこの蛇王様に雨乞いをするのが常であった。
しかし、蛇王様は時には山口(東金市山口)にある千段穴という穴にかくれることもあって、その時はどんなに雨乞いしても雨は降らなかったといわれている。
池の周囲約四キロメートルといわれ、この池を七周して池の底をのぞくと、蛇王の姿が見えるともいい伝えられている。
この雄蛇が池には悲しい機織女の物語りが言い伝えられている。
昔、養安寺村(大網白里町養安寺)にサキという娘があった。大きくなって大網村の幸右衛門という家に女中奉公に出たが、そこで同じく奉公していた茂助という青年と恋におち入り、遂に結婚したのである。
二人の仲はむつまじく、やさしい茂助にサキは一心につかえ、朝から晩まで田畑の仕事や機おりに精を出していた。
茂助も、「サキ、サキ」とサキを可愛がりいつも二人は一緒のことが多かった。
茂助の母カンは、一人息子をサキにとられたような気がして、何かとサキにつらく当たるようになって行った。
ある年のこと、その年は日照りが続いて米も野菜もとれず、年貢米をも納めることが出来なかった。
母のカンは、
「こうなったのもサキが悪いからだ。」
とサキをいじめたが、サキはじっと歯をくいしばって我慢をしていた。そして雨乞い用の布を夢中で織り続けた。
布は出来上った。サキは、自分ながらよく出来たと思っていたが、母のカンは、
「この織りざまは何だ。こんなものを神様に納められるか。」
そういってその布を捨ててしまったのである。サキは身も世もあられない程悲しみ悩んで、家から出て行ってしまった。
数日後、雄蛇が池に一人の女の水死体が浮かび上った。勿論それはサキの変りはてた姿だった。
素直なサキは、死んでも、どうしたら姑(しうとめ)の気に入るような機が織れるかと今もなお一生懸命に機おりの稽古をしているという。
雨の降る日に雄蛇が池へ行って見ると、池の底から、キリキリバッタン、キリキリバッタンという機を織る音が聞こえるようになったといわれている。
雄蛇が池は面積六万二千七百坪(二〇六九一平方メートル)あり、附近の水田八百余町歩の灌漑(かんがい)に供している。昔、この地の旱害を防ぐために、時の代官島田伊伯が慶長九年(一六〇四)に工を起こし、一〇年ほどかかって完成したという。
村人たちは伊伯の霊を、祠を建てて祀り、水神様と称して、その徳をたたえたという。