天神社は古くは天神地祇として、後に菅原道真の霊をも祀るようになり、雷神信仰と文字詩歌の神として学問上達の祈願を付加した民間信仰として広まった。
天神講は全国的に分布していて、子どもたちの祭として、正月二五日に行なわれることが多い。しかし、毎月下弦の一夜を物忌みの夜とする習俗に属し、正月とは限らずに行なわれていた。
薄島区では三日間にわたって行なわれた。
第一日目は学校から帰り、当番宿へ集合する。年長の子をオヤカタと称した。
皆で山へ茅(かや)を刈りに行ってきて、夕食まで遊ぶ。(角力、騎馬戦、陣取り、かくれんぼなど)夕食後は順番に入浴して、また遊ぶ。泊らない子は帰宅する。
二日目、学校から帰宅すると宿へ集合し、各自半紙を二つ折りにしたものを、「子供連」と墨書し、篠竹にはさみ、別に幡(はた)を捧持して行列を作り、「なんでも、とうようえー」。とさわぎながら、産土神まで練り歩く。半紙に書いたものは、祠の屋根や周囲にさす。
持参した幡(はた)を男女に分れて、一本ずつ間かくをとって保持して立てる。子の竿に年長の子が取りついて、よじ登って行く。竿はぐらぐらゆれてなかなかうまく登れない。よじ登って竿を倒そうとするが、保持している子たちは、必死に倒されまいとする。もみ合って竿は倒される。どちらが先きに倒れるかを競う。倒された竿は、すかさず田の水の中に幡と漬けられる。びしょぬれの幡は、またかつがれて宿へ持ち帰えられる。
オヤカタは会費(昭和三五年頃で一〇円)と米、醤油、砂糖とを集める。
また、二組に分れて角力などをして遊んでいるうちに、年長の子らは風呂を沸かし、夕食の支度をする。食後はただ歌をうたったり、腕角力をしたりして遊ぶ。その後菓子をもらい、入浴したりして泊らない子は帰宅する。宿に泊る子も、ふざけたりしてなかなか寝られない。
三日目の朝、宿で焚火をしてあたって帰る。朝食をすましてから宿に集合する。騎馬戦や角力をして遊ぶ。昼食を食べ歌をうたったりして遊ぶ。
夕方になると、年長の子が風呂をたき、夕食を作り皆で食事し、また遊び、入浴、お茶をのんで解散する。おそくなるので年長の子が送っていく。
この際、宿の交替があり、当番になった子は、庭で背中に旗をさされ、更に手桶の水に漬(つ)けた笹で、水をかけられたりする。