七夕飾りの笹竹に色紙で作った短冊や細工物を吊(つる)し、各戸ごとに門口に立てた。里芋の葉の露で墨をすり、願いごとを短冊に書いて吊し、子どもの手習いの上達を願った。この飾りは六日に門口に立て、七日に川へ流した。七夕には少し雨が降った方がよい。
これとは別に、七夕馬を引き廻す習俗があった。農家で作られた真菰(まこも)の馬と、その腹の下に納まる牛とで「カヤカヤ車」が作られた。陶製の小さな車輪をつけた板台車に、これらの牛馬をとりつけ、真菰や色紙で飾りたてた。別名「カヤカヤドウズ」とか「ハーマイヨ車」とも称した。当日子どもたち(主に男子)は午前四時頃から起き出して、この車を引き出し、町内を囃(はや)しながら練り歩き、村境まで行って道端の草や芝を刈って車につけて帰った。また、馬の両胴には俵をつけて捨ててくるとかした。刈って来た草や芝は、馬小屋の両端にかけ置いた。
牛馬には白水(小豆汁)を呑ませて、団子をくわえさせたりした。
七夕唄としては、
草かりまんよ 草かりゃどこだ、
茂原の宿だ、 朝ねぼやろどん
早くにおきろ、
(春まんよは春駒、まんよは馬のこと)
かやがやすけどこだ、のばらのきしだ
ねほすけやどどん はやくに
おきゃがあれ(薄島区)
多くは、あさねぼやーどん はーやくおきろ、と連呼した。この行事も第二次大戦後は、行なわれなくなり、牛や馬を作る人も少なくなった。