盆がすぎると、各寺ごとに施餓鬼法要が営まれる。新盆の家の他に、年忌供養の家ではあらかじめお寺に供養を申し込んで、指定された刻限に、親戚、知人と同行する。新盆の多い年は、客僧も大童(おおわらわ)で読経に汗を流す。「諷誦」(ふじ)をあげてもらい、塔婆をお墓に納める。「諷誦」は、盆前に親戚、知人からお金で届けられ、名簿とともにお寺へ納めておく。特に年忌でなくとも、先祖供養を毎年行なう家もある。「諷誦」は経文に供養者の住所、氏名がつけて読みあげられる。
施餓鬼では、上布田の薬王寺が「布田の施餓鬼」として有名である。俗に暗闇祭といわれるが、近郷近在の老若男女が集り、門前の民家は部屋を貸すほどであった。遠くは東京方面よりの参詣者が団体列車で八街駅まで来て、布田まで徒歩で往復した。極楽寺の農家では、残暑の中を汗と砂ほこりになって来た人たちに、風呂桶を庭先に据え、蓆(むしろ)を周囲に巡らし、即席の銭湯を設ける者もいた。
また、戦前は九十九里海岸の方から、老婦人連がアンペラの急造屋根をつけた馬車に乗り込んで、民謡や盆唄を歌いながら、滝台を経由して何台も布田へむかった。
薬王寺の本堂は「お籠(こも)り」の人たちであふれ、まわりの民家を借り切った人たち、あるいは道の脇では、歌や踊りがにぎやかに夜を徹して繰り広げられ、静かな山里も、熱気に包まれた。
現在は自家用車で来て、午後一〇時頃には夜店も引き上げ、静かになってしまう。