下田中区では、男子は一五歳になると、「非常連」に加入し、大山講の講員となった。これは社会人としての修養団体であって世話人三名が取り仕切った。
入会(なかま入り)には、酒一升を持参した。時期は一月であった。自分たちの地区のために奉仕活動を実践し、消防活動をも行なった。水田の灌漑の時期には、小野川の水を夜間流用して、賃もらいを黙認してもらったりした。
会合は世話人宅で行ない、共同飲食をした。夜は会合はしなかった。
ビシャメンの買入れに金銭を負担したので、ビシャによばれた。
この会を抜けるには、三五歳(養子は四一、二歳まで、必ず入会した)頃で、酒一升買わされる習慣であった。
この会は青年会に発展して、現在に至っている。