門付け

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 家々を訪れ、門口で行なう芸能は、時節の節目(ふしめ)に、子どもや若者たちによって演じられた民間信仰や農耕儀礼に基づくものであった。これが後には、芸能集団による、季節を問わない門付けをするようになった。
 酒蔵区には、大正期までは、次のような門付けが歴訪した。
 瞽女(ごぜ)と呼ぼれた女性が、五、六人で廻って来て、夜、宿で唄を歌って聞かせた。(三下りと二上り三味線)獅子舞い、太神楽、福俵(俵を投げて唄を歌う)でこまわし(くぐつ、人形使い)、角兵衛(越後獅子)、春駒、祭文語り(北之幸谷)や浪花節。
 また、恵比寿売り、朝鮮飴屋、よかよか飴屋もやって来た。毎年きまったようにやって来る行商人としては、売薬の讃岐、毒消し、岩見銀山鼠とりなどがあった。乞食には、ご飯や餅を施した。