昭和三〇年代初め頃までは、木炭は家庭での燃料としての需要があり、山間地帯で生産された。用材としては、楢(なら)、櫟(くぬぎ)などの雑木(ぞうき)を、一尺二寸の長さに切り揃えて、かまの中へ立ち並べて焼いた。
炭焼きがまは地面を円形に掘りくぼめ、上面を泥で塗り固め、簡単な小屋がけがされた。一日目に火入れをし、口をふさいで後方の煙出し口を開けた。焼け具合は、煙の色の変化により判定された。
四日目には、蒸し焼きとなった。
このかまは、築造時にはお神酒(みき)を供え、約五、六年の間は使用に耐えた。
一山四〇貫(黒炭)出来た。
炭俵は四角柱形で、山地に自生している薄(すすき)などであった。他に藁製の大きめの俵づめもあった。
木材は買いとりで、焼き分けを七分三分とされていた。