「産育信仰」とは民俗学上の一分野である「民間信仰」の範疇(はんちゅう)に属し、求児・安産・子育を念願し、同じ信仰を持つ生み盛りの婦女たちの集団が、「子安講」である。安産、育児は講を結成する有力な要素であったからで、また、団体的な行動をとる機会に比較的乏しかった婦人たちに集団行動をとる大きな契機となっている。
子安神は「子易神」とも書き、神名としては「日本三代実録」の中(貞観一八年(八七六))に美濃国児安神に朝廷から位階を授けられたことが見える。この神は延喜五年(九〇五)に「延喜式」の編さんを始める頃には実在していたもので、祭神は「木花開耶姫」(このはなさくやひめ)(注1)といわれ、早くから仏教と習合して濃尾地方から京洛にかけて信仰が盛んであったらしい。
中世には神仏習合により観音や地蔵と説かれるようになり、すなわち子安観音、子安地蔵がそれである。また道祖神(サエノカミ)と子安神の関係も深く、仏教では地蔵を道祖神の本地仏としている。関東に多く路傍の石像を信仰している。ドウロクジンとも呼ぶ。
講の集会は当番制で、祭の前後に連れ立って祠堂を拝みに行く。一九日に集会をするので「一九夜講」というところもある。東国では犬(イヌ)卒塔婆(そとば)を立てる風習がある。興味のあることで、犬の霊魂が子安信仰と関係があるらしいが、明らかでない。