(1)子安講

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 1 定義 民間信仰の一、既婚(きこん)婦人が求児、安産、子育を念ずる地縁的な婦人のみの信仰集団、生み盛りの婦女の集団で一五名~二五名内外が多い。一般に子安講と呼んでいる。
 2 行なわれる日 大別して年一回の所、正月、五、九月年三回の所、毎月行なう所とある。各講とも年間で最も盛大におこなうことが必ず一回あって、これを「女ビシャ」と称するところがある。市内では一月二八日および、二月八日に行なう所が断然多い。他に二月一八日、二月六日、(家之子全域)二月一五日(山口区雲内)、四月八日(二又)、毎月一九日(滝沢)。
 3 場所 輪番で当番宿の民家で行なわれることが多い。近年は部落公民館でも行なうところがある。
 4 幟(のぼり)庭に立てる小型で赤色の木綿地に毛筆で、「子安大明神」「○○女子講中」「○○女中」「○○女人講」などと墨書きされている。家之子区小金井の幟は比較的規模が大きく、当番の主ほか男性が手伝って建てる。
 5 掛軸 信仰の本体で祭壇に飾る。画幅と書幅がある。画幅が最も多く、紙本著色鬼子母神像で町絵師が描き、僧侶が開眼(かいげん)供養をしたものが多い。僧侶が墨書加筆している垂れ髪の女神の立像および坐像で、左手に赤子を抱き右手に「ざくろ」の枝をもつ鬼形の鬼子母神坐像の画幅(一之袋で妙典寺より授与される)。
  ○書幅では「子安大明神」と墨書されている。腰当の子安神で大正九年(一九二〇)に頒布(はんぷ)したもの。
  ○紙本着色木花開耶姫の像で、緋の長袴をはき、かんかんを着て右手に榊の枝に白幣をつけたものを持つスタイルのもの(家之子池野馬場)。
 6 彫像 祠堂の中に安置されており、像の高さ四〇-五〇センチ以下が多い。材質は一刀彫の木造か土偶である(砂焼)。天女像の鬼子母神が多く、古くなると講中の婦女が衣替えをする。関之下では五月二八日、九月二八日に更衣(ころもがえ)し、これを「お召し替え」という。山田区宮之下の講では妙観寺にある鬼子母神の彫像を祭壇に遷してから始める。子安の祠堂は社寺の境内に建てられていることが多いが、個人の家にあるものとしては台方区有原三朗家、薄島(すすきしま)区子安誠家などにある。二之袋の子安神は熊沢家の屋敷神から発展している。
 7 料理と供物 昔から講毎に大同小異ながらほぼ定まっていた。豆腐(昔は大豆を石臼で粉にひいて造った)里芋の煮ころがし、煮豆、人参、こんにゃく、豆腐の白和(しらあ)え、大根料理、牛蒡(ごぼう)のきんぴらなどが主であろう。二又では四月八日の講に「イトコジル」(わらび、筍(たけのこ)、蕗(ふき)、田にしを入れた味噌汁)を作って食べたという。
  ○祭壇に供えるものは神酒、鏡餅、上記の料理、茶菓子など。
 8 経理 当番の家の私費負担の所と講員の会費で賄(まかな)う所がある。また部落財政から一部負担する所もある。昭和二二年一一月二二日以前には講田(免田(めんでん)ともいう)のあった所もある。(二之袋)
 9 行なわれ方 昔は三日がかりで盛大におこなわれた。女ビシャともいう。すなわち前日は当番が準備をして、午後主に夜はオコモリをする。当日は本番で講の行事、翌日は後片づけと、ヒヤリと称して骨休めをした。しかし、近年は翌日犬の供養を続いておこなう所が多くなった。(元来は別の日であった)
  ○当日は当番の主婦が白米、大豆などを貰い集めて廻る。諸準備をする午後から特に夜にかけてオコモリをする所がある。(家之子奈良)これは子安講を終った姑(しゅうとめ)達の受持つ所が多い。小野の郷では男達がオコモリをする。祠堂や当番宿でおこなう。
  ○当日は朝から講員は講宿に参集し、話し合って料理の原料を買出しに行く。また自給など揃える。
  ○講宿の主婦は座敷に祭壇を飾り灯明を点ずる。この時性器崇拝の風習があって大根で男根を象(かたど)ってつくり飾る所(二又)や木造の男根を祭壇に飾って拝む所がある(家徳)。また蓬莱山(ほうらいさん)を造って飾るところが大部分である。朝、庭に幟を立てる。
  ○材料が揃うと一同調理にかかる。乳幼児を連れてきて若い母親は数名で部落内の社寺の境内にある祠堂に参詣し、御捻(おひねり)をあげて拝む、代参または全員でお参りするところもある。
  ○料理ができると先ず祭壇に供え、一人一人にお膳をつくって並べ各自着席して始まる。この膳に生大根をのせて当番の主婦にすすめる所がある(家之子、天野)。また、二又では「里芋のノッペ」という特殊料理を子宝の授かるようにとの信仰から、若妻に食べさせる風習がある。
  ○講宿に僧侶がきて読経(どきょう)する風習を残しているところがある(山田区宮之下、小野区岡の谷、楠の木)。
  ○講中同志が互いに招待しあっている所(二又ほか)や前には子どもも大勢集って炊出(たきだ)しなどして大盤(おおばん)振舞の共同飲食をした所がある。
  ○年度内に講中の家に嫁入りした新妻は「仲間入り」をする。この時は礼装に近い服装で姑および近所、親族の主婦にとりなしてもらい講中の一員になる。この時金一封、神酒、菓子などを奉納する。山田区宮之下では半紙三枚に水引をかけたものを一同に配って仲間入りしたという。
  ○講宿の主人は家を留守にする所が多いが、主人が講の宴席に侍り、飲み物などを進め接待する所もある(小野ほか)。
  ○頃合いをみて「当渡し」(とうわたし、またはオトワタシともいう)という儀式をおこなう。蓬莱山の前に当番と「来当」(らいとう…来年の当番)の婦人が向かい合って座り、盃の受け渡しをする。この時講中のしきたりで特定の歌謡や唱え事をする所がある。二又では「この屋座敷は目出度い座敷、めでたいものは芋の種、茎長く葉広く孫子抱き候なり」。と唱える風習を残している。また呪術(じゅじゅつ)としては「綱っ引き」という行事がある。これは一人がかなめを持って当たりくじを隠し、車軸状に麻綱を張り、一人一本ずつ綱を持ち、かなめを放すと一人は当たりくじをひいている。これを引き当てるとその年子宝に恵まれるという。(二又、家之子天野)。
  ○「当渡し」が終ると「当送り」(とうおくり)である。これは講中の女性が行列を練って、来当宅へ子安神を送っていくことで行列の順序は先頭から幟、お札、掛軸等を納めた引継ぎの箱、神酒、ごまめの順であることが多い。来当宅の主婦を胴上げする所もある(家之子天野)。また道中唄として「木やり」を唄う講もある。来当宅で茶菓のもてなしをする。翌日はヒヤリといい前日の後片づけをし、骨休みをすることである。共同飲食などする。一月二九日(関下)二月一五日(山口区雲内)。