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今や、日本の方言は、各地とも急速に変移しつつある。変移とは共通語化が進んでいることであり、その半面では方言が消滅しつつあることだ。これは必然的な時代の歩みであり、いわゆるふるさと回帰の運動といえども、ブレーキをかけることは出来そうにない。すでに東金地方には首都圏の波紋が強い力でおよびつつあって、ことばの都市化は年々密度を加えてきている。ことばは要するにコミュニケーションのものだから、ふるさとにしか通用しない方言が生活から消えてゆくことは、さびしいけれど、いたしかたのないことであろう。高壮年層には方言への郷愁は捨てきれないであろうが、若年層は方言への執着心など持たないといってもよかろうと思う。
東金地方は方言区画の上では、九十九里地区に属するものと見られる。九十九里地区とは、山武・長生両郡を中心に、北は匝瑳郡に南は夷隅郡にわたるものと考えられるが、そのくぎりは、さほど画然としているわけでもないし、方言そのものも、他地域のものとそれほどはっきりとした違いをもっているわけでもない。むしろ、共通性のほうが多く、特殊性はきわめて少ないという見かたができるようだ。千葉県のごとく、平坦地帯で交通の便にめぐまれているところでは、当然のことといえるだろう。だいたい、方言は自然的条件や歴史的条件、また生活的条件によって形成されるものであるが、九十九里地帯は外洋によってへだてられてはいるものの、高峻な山岳もなく、河川はみな細流で、平原つづきであり、気候にもめぐまれ、物産もゆたかで生活しやすく、また、近世においても大きな藩もなく、したがって武士階級との交流も少なく、沿海には漁民が多かったけれども、彼らはだいたい半農的生活をしており、都市には商人がある程度いたとはいえ、その本質は農民的であったから、この地帯はおおむね農村的・農民的雰囲気のなかにあったことは事実である。したがって、方言も農民語のカラーを濃厚に保持していたといっていい。
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さて、東金地方の方言といっても、その特色をとらえることは、かなりむずかしい。行政区画ははっきりきまっているけれども、方言区画の線引きはなかなかできそうにない。東金方言は山武方言に所属し、山武方言は九十九里方言の一部をなすわけだが、九十九里方言の中での山武方言、山武方言の中での東金方言、それぞれの方言線をどのようにきめるかとなると、ずいぶん厄介なことになってしまうだろう。学問的な厳密な分析などを要求されても困るが、常識的にとらえられる傾向をまとめることで解説にかえたいと考えるのである。
むかしから、上総ことばというと、江戸あたりでは、下品でドロくさいとされ、かなり嫌われていたらしい。東上総で少年期をすごした荻生徂徠は、大切な言語形成期に上総ことばを身につけてしまったので、成人後もそのナマリがなかなか抜け切れないで困った面があったらしいが、たしかに上総ことばは訛音が多く、もの言いが粗暴で情緒にとぼしく、聞きとりにくいところがあって、悪い印象をあたえる面が強かったようである。それには、文化意識の低さということも手伝っていたと見られる。東金の方言も右のような傾向をもつことは、残念ながら認めざるをえないであろう。
東金方言の語学的諸傾向については、別のところで多少詳しく示すつもりであるが、ここで概要をのべてみると、関東東北弁の特色たる「ぺえ」「べえ」も一般的に使われるし、場所方向を示す助詞「へ」「に」の代りに「さ」を使うこと、母音「イ」と「エ」の混用、その他母音の転移の多いこと、また、母子音の転移、たとえば「ヒ」を「シ」ということなど一般的であるし、さらに子音の脱落も多く、カ行音・タ行音の有声音(濁音)化も見られるし、撥(はつ)音化・促音化も多用されている。
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つぎに、東金地方に生活していて、耳につく特殊な言いかたをあげてみよう。まず、東金人は「--してくったい」という言いかたをする。これは、多分「ください」のナマリであろうが、この「たい」をいろいろな場合に使って、相手に対する願望または要求の意味に用いているのである。つまり、「早くしたい」「帰って来たい」というような使いかたをする。が、元来「たい」は文語では「たし」で、自己の願望をのべる助動詞であるのに、この地方では相手に対する願望詞として使用しているのはおもしろく、まためずらしいことである。また、「言う」ということを「ソウ」(sou)という。「ソウ」は「ソウイウ」が縮まったものかもしれないが、よく使われている。このことばは下総地方でも使用されているらしいから東金地方独特のものとはいえないだろうが、ちょっと気にかかる言いかたである。つぎに、「ソウダ」とか「ソウダヨ」というのを「ソウダダヨ」と、「ダ」を重用する言いかたがされている。これは他地方にあるかどうかわからないが、めずらしい言いかたのように思われる。また、困ったことがあった時、しきりに「オエネエ」という。「終らない」のナマリで、仕方がない、しようがないの意味であるが、変わったことばづかいである。この地方の人たちは「大変」なことがおこった時には「オオゴッタ」という。大事(おおごと)だということだろう。そのほか、逆接の接続詞「ケレドモ」「ダケレドモ」を「ダケンガ」「ケンドモ」「ケンドンガ」「ケンド」「キッド」というふうにいろいろな言いかたをする例がある。こういう言いかたは長生郡地方に多いように思われるが、そちらからの影響かもしれない。「行ッタカイ」は疑問語だが、それを「行ッタケー」というのは他地方にもあるが、この地方では、「行ッタガイ」という使いかたをしている例がある。前に「ソウダダヨ」というめずらしいことばを紹介したが、それと似た言いかたに「ソウダデン」という言いかたがある。これは「ソウデス」の意味だが、「ソウダ」に「デス」をくっつけたものであろうか。この地方の女たちは、終助詞の「よ」をのばした「よう」をやたらに使う習慣がある。それを時によると「イッタデンカイヨウ」(いったではありませんか)というふうに反語的に用いることもある。なお、ついでながら書きそえると、東金地方では「コワイ」は疲れたの意味に、「シッカリ(シッカ)」は沢山の意味に使われている。「コワイ」は普通「怖(こわ)イ」または「強(こわ)イ」という意味に使われているのに、当地方では「オオ、コワイ」というと、ああ、疲れたという意味になる。もっとも、これは下総地方でもそういう用いかたはされているようだ。それから、「シッカリ(シッカ)」は一般的には堅固なこと、気丈なことの意味に使われているが、東金地方では量の多いことに用いる。もっとも、「浮世風呂」などにも沢山の意味に使う例があるから、この地方独特の用いかたとはいえないかもしれない。
次にもう一つ、特殊な言いかたの一例をあげると、木の実が熟することを、一般には「実ガナル」というが、当地方では「ナリル」という。「ナル」は四段活用であるが、「ナリル」は上一段活用になる。
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方言が形成される要因としては、人為的要因と自然的要因の二つがあげられるが、当地方は酒井氏時代に大名支配を受け、また、七里法華という宗教的閉鎖地域にされたことはあるが、そのために言葉が特に変わったということもなかったであろう。江戸期は東金が板倉領(本藩は東北福島)になったとはいえ、言語の上に影響があったとは思われない。明治になって鉄道の敷設が立ちおくれたので、東京語への同化がおくれたということから、方言の温存時間が比較的長かったことは指摘できよう。そのため、東金地方ではごく最近まで言葉づかいがなかなか共通語化しないで、上流の家庭でも方言を多く用いる風習があった。商人は農民よりも早く共通語を習得し方言を捨ててゆくものだが、東金商人は概して方言離れがおそかったようである。それは、首都から距離が遠く、交通の発達がおくれたことに主因があろう。
方言ばなれがスピーディになったのは、ラジオ・テレビが普及し、高校教育が義務教育並みになり、とくに女子の教養が高まり、家庭を出て会社等で働く者が増加したせいもあるだろう。女子が共通語を専ら使うようになると、方言は自然に家庭の中から消えてゆくようになるものである。主婦が方言を使わなくなると、子どもたちも使わなくなる。やがて、学校も社会も共通語化し、方言の影は薄れてゆくであろう。それは、いたしかたのないことにちがいない。
方言を形成するもう一つの要因たる自然条件は、海や山や川や湖によって隔離される場合のことである。東金地方では自然的影響ということはあまり考えられない。強いてあげれば、南部の平野地帯と北部の台地地帯とのへだたりであろう。平野地帯は変化しやすく、台地地帯は変化がおそい。共通語化は平野地帯のほうがずっと早い。台地地帯にはいつまでも方言が残る。台地地帯は今まで開発がおくれていたが、今後はその速度を早めるにちがいない。両地帯は近い将来には平均化されることであろう。東金市は海に直接面してはいないが、漁村地帯とは接している。生活条件のちがう漁村には特殊な方言が発達するのは自然である。そういう方言つまり、漁民語がこちらに流れ込んでくることはありえよう。そのため方言の特殊変移が生ずることは考えられる。
次に、河川が方言を形成することについてであるが、東金地方に川はあるけれども、みな小流であって、言葉をかえるほどの影響があったとは思われない。しかし、木戸川の以南と以北では多少言葉づかいにちがいがあるといわれている。当地方では、「イ」と「エ」の混用のほか、「シ」と「ス」の混用、「チ」と「ツ」の混用があるといわれるが、その現象は成東寄りの地域に多いと見られるけれども、それを、木戸川を境として見ると、以南地区では「シ」を「ス」といい、「梨(ナシ)」を「ナス」と発音するが、以北地区では逆に「ス」を「シ」といい、たとえば「ソウデス」を「ソウデシ」という。また、以南地方では「チ」を「ツ」といい、たとえば「口(クチ)」を「クツ」と発音するが、以北地区では、逆に「ツ」を「チ」といい、たとえば「靴(クツ)」を「クチ」という。それからまた、以北地区では「シ」を濁音化して「ジ」ということがある。たとえば、「ソウシテ」を「ソウジテ」というたぐいである。以南地区にはそういう傾向はない。東金地方は以南地区にあたるわけで、以北地区と右のような差違があることは、現実にはなかなかたしかめにくいが、川の向こうとこちらで多少のちがいが生ずることはありえるのだろう。訛りはなかなか直りにくいものである。共通語を使っても、発音は方言的である場合がかなり多い。方言の中には発音のしかたが未熟で幼稚なために出来てしまったものがかなりある。そういう方言は発音の訓練が進めば自然に消えてゆくものである。
言葉は生活に伴なうものである。生活が変われば言葉も変わらざるをえない。また、言葉の価値は通用性にある。通用性を失った言葉は自然に死語とならざるをえない。方言もその運命はまぬがれないだろう。しかし、方言にはふるさと人の心がこめられている。よい方言は残したいものである。