大野銀行は、古くから一角丸本舗として知られた大野家が明治三三年(一九〇〇)一月一八日、合名会社大野銀行として創設した。資本金五万円、本店を東金町(東金市)東金一、一九六番地に置く。初代頭取は大野伝兵衛である。明治四〇年(一九〇七)資本金を一〇万円に増資し、同年二月、大網町大網に大網支店を開店。その後大正期には九十九里地方のほか、東京・茨城・山梨・京都と営業範囲を拡大した。支店設立は、「明治四〇年大網・大正元年浅草(東京)・大正三年茂原・天津・佐倉(大正八年廃止)・高浜(茨城)・京都・大正四年小湊・東京・潮来(茨城)・玉造(茨城)・谷村(山梨・大正七年までに廃止)・大正五年御宿・大森(東京)・大正五年御宿・大森(東京)・大正八年(成東)・八街・大正九年流山」(「千葉銀行史」・一二一頁)と総支店を一七設置したことがわかる。
大正七年(一九一八)八月一五日、資本金を一〇〇万円に増資するとともに、株式会社大野銀行に組織変更したが、大正九年(一九二〇)一二月七日に取付けを受けて休業、大正一〇年(一九二一)九月五日再開したが、ついに回復し得ず、大正一一年(一九二二)八月一日、ほとんどの支店を廃止し、大正一四年(一九二五)四月二一日本店を解散したのである。なお大野貯蓄銀行(東京)は千葉銀行の併営によるものである。
頭取 大野伝兵衛、大正一二・-・-手代木佑寿
(「千葉銀行史」(一二一頁))より