旭信用金庫は戦後、昭和二二年(一九四七)八月海上郡旭町(旭市)に設立、当時は国土復興に重点がおかれ、中小企業や一般大衆は、激しいインフレに経営や生活が苦しく、この危機を脱するため、地域金融機関として有力な信用組合を設立しようと旭町の商工業者を中心に、産業組合法による「保証責任旭町信用組合」が誕生したのである。その営業目的は、産業に必要な資金の貸付け、貯金の便宜、公共団体等の貯金の取扱いをすることにあった。
昭和二四年(一九四九)「旭信用組合」と改称。
昭和二五年(一九五〇)九月「飯岡駅前出張所」を開設、翌年に「干潟出張所」と「山武支店(横芝支店)」を開店した。
昭和二六年(一九五一)六月、信用金庫法により「旭信用金庫」と改称。
昭和二九年(一九五四)、地元旭市の金融機関の指定を受ける。同年東金町・片貝町・大網町外五か町村の区域拡張の認可により、片貝町に片貝支店を開設。
昭和三二年(一九五七)一〇月、創立一〇周年記念式を開催。預金額一〇億四、〇〇〇万円となる。
昭和三三年(一九五八)、九十九里町の片貝支店を廃止し、東金市に東金支店を開設、翌年南総通運の旧本社へ移転、初代支店長斎藤富貴郎以下職員一二名で発足。
昭和四九年(一九七四)度末、三二億七、〇〇〇万円に成長。更に、千葉・佐倉・成田に支店を開設、現在営業店舗一三か店を有するに至る。
昭和四二年(一九六七)、水田大蔵大臣を迎え、創立二〇周年記念式典を挙行し、また、昭和五二年(一九七七)、三〇周年を記念し、本部ビルを建設した。
昭和四一年度(一九六六)以降の高度経済成長、地域開発特に、京葉臨海工業の進展、内陸工業地帯の造成、新国際空港の開港と各地に開発が進み、東金市でも、駅東口と国道一二六号線を結ぶ水田地帯の造成が開始され、当東金支店も店舗および駐車場の狭隘により、昭和五〇年(一九七五)五月、駅裏側に新店舗を新築(東金市東岩崎六番地)開店し、更に九十九里町(旧片貝町)へ九十九里支店を再び開店し、現在に至る。