明治四三年(一九一〇)七月、銚子信用組合として設立、県下最古の組合であり全国的にも第一九位と古い歴史をもっている。
その由来をたずねると、幕末のころから大原幽学の創設した先祖株組合や二宮尊徳のおこした報徳社の組織が銚子周辺に普及し、町内や地区に小規模の無尽講式の金融が行なわれていたことが基盤となっていたようである。銚子は江戸時代利根川の水運を利用し、江戸への物資、関東東北の農水産物の集散地として繁栄を極めていたが、明治の新時代を迎えて、鉄道の急速な発展はかえってそれを阻害する傾向があった。銚子の有志は鉄道の開通を機に信用組合の設立を企図し、大橋幸吉を組合長としてその発展を画したのである。
そして、明治・大正・昭和と幾多の危機を克服しつつ逐年発展を遂げ、第二次大戦中から戦後にかけて市内に五つの支店を設け、今日の強固な支店網を形成するにいたったのである。
しかし、戦時中、本店は二度の空襲に焼かれ、戦後、金融機関の戦時保証の打ち切りに会い、出資金や第二次封鎖預金の切り捨てによる損失額を補てん、これらの整理に昭和三三年(一九五八)までかかるというごとき苦しい経路をたどったが、その後順調に進み、支店を増設、めざましい発展をつづけることが出来たのである。
なお、昭和二六年(一九五一)に信用金庫に改組、昭和二九年(一九五四)、夷隅信用金庫を吸収合併し、また茨城県にも進出、波崎支店を開設、現在、千葉茨城両県にまたがり、一二市九郡に二四の支店を網羅、預金高一、五〇〇億円に成長している。
昭和五六年(一九八一)六月、東金支店を開設した。