○診療科目 皮膚科・内科・外科・小児科・胃腸科・整形外科・理学診療科
○院長 吉永雅俊
○副院長 布施吉弘
○ベッド数 一〇八
○概要
両総病院が、両総胃腸外科病院として発足したのは、昭和四七年(一九七二)一二月一七日であった。
法人名の三矢会は、毛利元就の古事にならって、関係者三名が和をもって団結し、地域医療の実をあげようと考えて、名づけたものだという。
豊海街道ともいわれる県道東金豊海線沿いに、ベッド数二三をもって開業されたのであるが、三年後には一病棟を建設し、更に三年後には新館建設と敷地・建物を拡張して、現在はベッド数一〇八床を擁する病院として、県立東金病院・静和会浅井病院に次いで建設された市内における三大病院の一つである。
院長吉永雅俊は、
「これからは、医療と福祉の一体化を考えなければならない。治療を主とする医療と介助を主とする福祉の理想像を求めて、本当の意味での総合病院を建設することが大切である。」
という考え方をとっている。
このことは、総合病院という名のもとに、診療科目をそろえても、常時医師がいて、いつでも住民の治療要求に応えることができなければ、住民の福祉増進には程遠い。まして、救急病院においてはなおさらであるという考え方で、近く八街町に真の総合病院--ベッド数三〇〇--の建設に当たるという。
この医療と福祉の一体化は、社会福祉法人「緑海会」の設立にも見ることができる。
吉永院長は、副院長布施吉弘と共に、この福祉法人施設の設立を計画したが、東金市の理解するところとならず、成東町に設立したという経緯がある。
昭和五五年(一九八〇)一一月二〇日認可。尓来、緑海会内の診療をはじめ、協力病院としての協力をし、翌五六年四月一日開設の身障者養護施設光洋苑、同年八月一日開設の老人養護施設青松苑の運営の一端をになって努力している。
医業の近代化は、医療機器の開発等に見られる科学化の方向と、国民健康への対策や予防医学の充実、なかでも国民福祉を主とする社会化の方向をたどっているようであるが、「緑海会」の運営は、こうした面から評価されるであろう。
病院の統計によれば、一日平均外来患者数は二九〇名という。
吉永病院でなく、「両総病院」としたことは、上総・下総の地域住民の病院として永く地域医療に努力したいという念願と、病院の私物化を防ぐ意味で命名したというが、院長の念願にそって、その実をあげるよう関係者一同の精進を期待する。
両総病院