二 医院・診療所

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 開業医としての医院・診療所の数は三五と前に記した通りである。
 これを、専門科目別、年代順にその数を記すと次の通りである。
 専門科目については、二つ以上のところも多いが、ここではその主なる二科目について記録した。
 
東金市における病院・医院数の推移 (昭和五八年調)
診療科目 明元~10 明11~20 明21~30 明31~40 明41~大 6 大 7~昭 2 昭 3~12 昭13~22 昭23~32 昭33~42 昭43~52 昭53~現在 昭58年8月
内科 7 5 12 11 12 11 11 11 18 17 18 18 15(3)
外科 1 5(2) 3(1) 4(2) 4(2) 4(2)
耳鼻科 1 1 3 5 5 2 1 1 1
眼科 1 1 2(1) 4(1) 3(1) 3(2) 4(1) 4 4 3 3
産婦人科 1 2 2 2 3 7(3) 8(3) 5(2) 10(4) 8(3) 4(1) 5(1) 4(1)
精神科 1(1) 1(1) 1(1) 1(1) 1(1)
歯科 1 2 6 7 11 12 12 13 18 15(1)
〔注〕内科の15(3)とは、15施設あるが、うち3施設は他の診療科目をもっており、主として内科のみの診療は15-3=12施設であることを示す

 
東金市内医院・診療所一覧
科目 施設名 院長 その他の科目 開業年 所在地 その他
内科 秋葉診療所 秋葉正一 小児科・産科婦人科 昭和一五年 東金一一九五 玄琢-玄隆-隆-正一と医業に当たる。
内科 今井医院 今井由文 大正二年 滝沢一三八 開業年は父総明による。昭和二一年より由文継承
内科 今井医院 今井史規 小児科 昭和四九年 田間一一三〇
内科 大多和診療所 大多和寿一 小児科 昭和二四年 東金一四三六
内科 岡崎医院 岡崎洋一郎 小児科・外科 X線科 昭和三七年 油井五五の一
内科 郡山医院 郡山郁子 小児科 昭和三七年 台方四〇の四 児保診療所として発足。四六年八月児保医院、五八年六月郡山医院と改称。
内科 佐久間医院 佐久間栄枝 小児科 明治四四年 東金一〇五二 開業は父寛、眼科・耳鼻咽喉科として岩崎地区に。大正八年現在地にうつる。昭和二四年父寛のあとを継承、内科として現在に至る。
内科 東金中央クリニック 岡本成通 神経科・小児科 皮膚科・放射線科・泌尿器科 昭和五四年 東岩崎二四 昭和五〇年東金一二六七中村病院にて開業入院可ベッド数一九
内科 西本医院 西本幸一 小児科 昭和二二年 前之内二二九
内科 原医院 原進 小児科・放射線科 昭和五三年 東新宿八の一一
内科 三宅医院 三宅廸子 小児科・産科婦人科 昭和二三年 下武射田八九四 開業当初は産科・婦人科。昭和三七年頃より内科となる。
内科 吉橋内科診療所 吉橋重遠 昭和六年 東金三七五 開業は吉橋孝現院長は昭和四九年四月より
外科 太田外科診療所 太田寿一 昭和一三年 東金一二二八 開業は父明。昭和三三年より現院長となる開業時は入院一五ベッド、現在は入院不可
外科 平山外科診療所 平山修 昭和二六年 東金九三一 入院可、ベッド数一九
耳鼻咽喉科 荒木医院 荒木正直 昭和二三年 東金一〇五二 始め浅井医院にて開業、後現在地にうつる。ベッド数現在三、娘近藤弘子医師昭和四五年より週二回診察。
眼科 柿栖眼科 柿栖米夫 昭和三四年 東金七一六 開業時は上宿八鶴湖入口であったが、昭和四四年現在地にうつる。入院可ベッド数五。曽祖父、祖父、父と代々医業を田中地区において営む。その当時は内科。
眼科 実方眼科医院 実方良平 昭和二〇年 大豆谷五 入院可ベッド数二
眼科 武田眼科 武田こと 大正九年 東金五八二 東金における女医一号。
産科 熱田医院 熱田英雄 婦人科 昭和二九年 東金二二三の一 入院可、ベッド数八
産科 河宇産婦人科 河宇伸有 婦人科・内科 小児科 昭和五五年 堀上七六の一 入院可、ベッド数一四
産科 霞医院 霞岩夫 婦人科・内科 大正一四年 宮八 開業は父霞仲、現院長は昭和五六年より継承。入院可、ベッド数四
歯科 麻生歯科医院 麻生俊夫 昭和五年 東金一一八九 開業年は母愛大沼田に開業、その後昭和八年現在地にうつり現院長は昭和四六年これを継承。
歯科 石橋歯科医院 石橋憙尚 昭和四二年 田間二二八五 現在地へは昭和五一年移転。
歯科 上田歯科医院 上田健夫 昭和一〇年 台方六一五 開業年は父鉄雄、現院長は昭和三六年これを継承。
歯科 小倉歯科医院 小倉一雄 大正七年 東金二四四 開業年は父誠一田間二区に開業したもの、その後現院長上宿に移転、現在地へは昭和四一年に移る。
歯科 小田歯科医院 小田光夫 昭和二二年 東金七五三 開業時は現在地の近くで昭和三三年に現在地に移転。
歯科 勝田歯科医院 勝田義之 昭和一六年 田間二一八二
歯科 木村歯科医院 木村幹彦 昭和二二年 東金一二二九 開業は父圀栄、現院長は二三年これを継承
歯科 鈴木歯科医院 鈴木能文 昭和五六年 松之郷二六七八
歯科 東城歯科医院 東城博之 昭和五五年 東金八八三の三
歯科 二木歯科医院 二木昇人 昭和五六年 東金七三三の八
歯科 布留川歯科医院 布留川進 昭和一三年 東金一一五七 妻布留川見也始め新宿に開業、現院長昭和一四年より現在地に移る。
歯科 山岸歯科医院 山岸市之 昭和二〇年 大沼田四二七 大網下ケ傍示に開業していたが二〇年現在地にうつる。
歯科 山口歯科医院 山口誠一郎 昭和五六年 東金四四二
歯科 和光歯科医院 石橋茂登子 昭和五三年 求名一九三の四

 これらの医師は、歯科医は歯科医師会、歯科医を除く他は医師会を結成している。
 そのいずれもが、始め親睦団体の性格をもって組織されていたが、次第に法に準拠した組織へと変わり、
 1 親睦・協力
 2 伝達・遵守(じゅんしゅ)
 3 研修・研究
 4 医道昂揚
 5 社会および会員の福祉増進
という目標にむかって、年々充実した運動を展開している。
 医師会については、「山武郡市医師会誌(昭和四四年発行)」、歯科医師会については、「あゆみ(山武郡市歯科医師会編、昭和五年発行)」があるので参照されたい。
 なお、薬剤師会もあって、前二者とあわせて、「三師会」とよばれている。