(年代)西暦年号 |
医療行政の動き |
本市の医療関係 |
元文 3(一七三八) |
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・田波敬意(北之幸谷一〇九八に開業)死去し二代目田波敬意これをつぐ。以下忠匡・敬意・貞順・東斎・養拙と家業を継承する。 |
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・東金に中村(内科医)砂郷に上田(産婦人科)医あり、その開業年は詳らかでない。 |
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・多田屋祖先、四代に亘って医を業とすという。 |
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・北幸谷に矢野玄章医を業とする。安政二年(一八五五)二月二八日死亡につき、養子昌才(昭済)家督をつぐ。開業の年代あきらかでない。 |
安永元(一七七二) |
将軍吉宗小石川養生所を設立する。 |
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〃 3(一七七四) |
解体新書出版される。 |
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寛政 3(一七九一) |
躋寿館(多紀氏設立)医学館と改め官立となる。 |
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天保元(一八三〇) |
当時の古文書によると奥医師・奥外科・奥御口科・奥御眼科の文字が見える。 |
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嘉永元(一八四八) |
幕府医官の西洋医学研究を禁止する。 |
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〃 5(一八五二) |
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・前之内に関寛斎仮開業する。 |
安政 3(一八五六) |
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・関寛斎銚子に移転する。 |
〃 4(一八五七) |
ポンペにより西洋医学教育始る(長崎) |
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〃 5(一八五八) |
幕府蘭方禁止令をとき蘭方医を医官に任命。種痘所設立される。 |
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万延元(一八六〇) |
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・田間に吉井宗元医を業とする。 |
文久元(一八六一) |
長崎の養生所完成す。(本格的洋式病院の始まり) |
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〃 3(一八六三) |
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・藤代昌琢荒生にて医を業とする。 |
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・この頃秋葉玄琢豊成にて産婦人科を開業する。 |
元治元(一八六五) |
長崎養成所を精得館と改称する。 |
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明治 2(一八六九) |
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・大和村田中に柿栖広次漢方医として開業するといわれる。 |
〃 3(一八七〇) |
ドイツ医学採用の方針決定される。 |
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〃 4(一八七一) |
長与専斎欧米の医事制度を視察する。 |
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〃 5(一八七二) |
文部省に医務課をおく。 |
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〃 6(一八七三) |
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・田波東斎死去、養拙医業を継ぎ東金七五九番地に移住する。 |
明治 7(一八七四) |
種痘規則布達される。 |
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〃 8(一八七五) |
衛生行政文部省より内務省にうつる。 |
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〃 9(一八七六) |
医術開業試験法公布される。 |
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〃 10(一八七七) |
東京大学医学部が成立する。コレラ流行。 |
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〃 11(一八七八) |
脚気病院開設される。 |
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〃 12(一八七九) |
中央衛生会地・方衛生会できる。医師試験規則を達する。 |
・田間神社下に石井唯助助産婦人科病院を開業する。 |
〃 13(一八八〇) |
伝染病予防規則を布告する。 |
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〃 16(一八八三) |
大日本私立衛生会結成される。医師免許規則及び医師試験規則制定される。 |
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〃 19(一八八六) |
日本薬局法の制定。陸海軍の医療機構確立する。 |
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〃 19(一八八六) |
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山辺・武射両郡有志により東金病院設置の議起こる。 |
〃 21(一八八八) |
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二一年四月五日付医師会通知に山辺・武射部会会頭井上永太郎、副会頭今井松順、常議員として長尾学、中村進、太田玄弘、秋葉玄隆、桜田馨、中村玄俊、華表兵吉郎医師小出良順等の名あり。総会費28銭の記録みえる。 |
〃 22(一八八九) |
薬品営業と薬品取扱規則を公布。一二月わが国初の歯科医育成機関高山医学院設立される。 |
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〃 23(一八九〇) |
第一回日本医学会開かれる。 |
・この頃源村極楽寺に山本医院があったという。 |
〃 26(一八九三) |
大日本医会発足する。 |
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〃 30(一八九七) |
伝染病予防法公布される。 |
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明治32(一八九九) |
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・田間二〇二九に小川巌内科小児科を開業する。 |
〃 33(一九〇〇) |
ペスト流行する。 |
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〃 34(一九〇一) |
医学専門学校令出る。 |
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〃 35(一九〇二) |
大日本歯科医会が設立される。この時千葉県歯科医会できる。 |
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〃 36(一九〇三) |
医術開業試験内務省より再び文部省へ移管される。 |
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〃 38(一九〇五) |
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・一一月一〇日田間に小野鉄太郎歯科を開業する。東金は勿論郡内の開業医として第一である。 |
〃 39(一九〇六) |
医師法公布される医師会規則制定。 |
・山田台に二月一一日博愛病院(産婦人科)開業する。院長行木九郎二 |
〃 40(一九〇七) |
癩予防法公布。 |
・山武郡医師会設立、東金の医師これに加入する。 |
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東京歯科医学専門学校認可される。 |
・東金現在の多田屋裏に君塚鍈三郎内科小児科を開業する。 |
〃 42(一九〇九) |
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・四月一六日東金一〇五〇番地に橋本禎三郎郡内東金二番目の歯科開業。 |
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・この頃家之子仁王尊山門附近に吉野医院があったといわれている。 |
〃 44(一九一一) |
施薬救療に関する勅語喚発される。 |
・一一月岩崎に佐久間寛、眼科耳鼻科を開業、大正八年新宿一〇五二に移転し内科小児科となる。 |
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「山武郡郷土誌」には「郡内に医師八六、薬剤師五、歯科二、産婆二八、鍼灸師一九一、薬科商一九あり」と記録されている。 |
明治45(一九一二) |
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・田間二〇八九に小倉文彦内科産婦人科医として開業する。 |
大正元 |
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大正 2(一九一三) |
日本結核予防協会設置される。 |
・山田台の博愛病院源村極楽寺四四九番地に移転する。 |
〃 3(一九一四) |
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・「山武郡郷土誌」によれば「衛生上の知識を啓発し、且つその施政を翼讃して郡衛生の発達を期するを目的として、八月郡長竹内錠之助、警察署長越川健、郡医師会長高橋新三氏ら率先して東金小学校にて山武郡衛生会設立総会をひらく。会長は竹内錠之助」とある。 |
〃 4(一九一五) |
看護婦規則の制定。北里研究所開設される。 |
・小野に手嶋省三婦人科内科医として開業 |
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・杉谷直道氏の「東金町誌」に |
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東金医師 今井祐 石井唯助 原道作 小倉文彦 小川巌 高橋新三 高知尾競 田波黛潤 中村進 上田文庵 |
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眼科医 長島和三郎 佐久間小三郎 |
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歯科医 小野鉄太郎 橋本孫三郎 田村伊之助 矢野 久吉 |
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との記述がある。 |
〃 5(一九一六) |
大日本医師会成立する。 |
・大正年間日給七〇銭 抜歯一円 金冠一本五円 金地金五グラム五円であったという。 |
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保健衛生調査会の設置。 |
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東洋歯科医学校(日本歯学部の前身)が設立される。 |
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大正 6(一九一七) |
インフルエンザ流行する。 |
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〃 7(一九一八) |
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・一〇月二日田間に小倉誠一歯科医院を開業(郡内では八番目という)。 |
〃 8(一九一九) |
結核予防法公布される。 |
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精神病院法成立する。 |
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トラホーム予防法公布される。 |
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〃 9(一九二〇) |
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・千葉県歯科医師会山武支部長に橋本禎三郎が選ばれる。 |
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・武田こと東金五八二に眼科を開く。 |
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・中田彦衛東金一三八六に歯科医院を開く。 |
〃 11(一九二二) |
健康保健法公布。 |
・田波黛潤死去。田波啓これをつぐ。 |
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・小倉病院分院長として東金岩崎に開業。 |
〃 12(一九二三) |
法定日本医師会成立する。 |
・広森武夫東金新宿に歯科を開業後東金一二二九に移る。 |
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・この頃下武射田に桜田けさ造(内科)高倉に今井眼科医院があったという。 |
〃 14(一九二五) |
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・家之子に安藤謙(高倉生れ)招かれて医業を行なう。 |
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・宮八番地に霞仲産婦人科医院を開業する(一月)。 |
昭和 2(一九二七) |
健康保険法施行される。 |
・家之子安藤医院長者町に移る。 |
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花柳病予防法公布される。 |
・上武射田の秋葉玄竜死去し休業する。 |
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・源村滝沢に今井総明内科医として開業する。 |
昭和 4(一九二九) |
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・田間に長門耳鼻医院開かれる。院長は長門静子。 |
〃 5(一九三〇) |
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・麻生愛大沼田に歯科医院をひらく。三年後の昭和八年東金一一八九に移る。 |
〃 6(一九三一) |
労働者災害扶助法公布される。 |
・吉橋孝、東金に内科医として開業する。 |
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新興医師連盟できる。 |
・田間小川医院院長小川重五八歳にて死去に付き廃業する。 |
〃 7(一九三二) |
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・東金に鈴木耳鼻科開業。 |
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・浅川産婦人科廃業する。 |
〃 8(一九三三) |
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・押堀に原衛四月に三省堂医院(内科)開業。 |
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・源村極楽寺の博愛病院廃業する。 |
〃 9(一九三四) |
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・一一月三日上宿に橋本吉治(油井出身)歯科医院を開く。 |
〃 10(一九三五) |
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・上田鉄雄一〇月一五日砂郷に歯科医院を開く。 |
〃 11(一九三六) |
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・「東金町勢一覧」によればこの年の統計として、 |
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普通病院 3 隔離病舎 1 医師 12 |
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歯科医 6 産婆 6 看護婦 5 |
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薬剤師 4 薬師商 7 製薬者 2 |
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赤痢 6(内死亡5) 腸チブス 1 |
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の記事がある。 |
〃 12(一九三七) |
保健所法の公布があった。 |
・太田明東金一二二八に外科医院を開く。 |
〃 13(一九三八) |
厚生省設置される。国民健康保険法公布される。医療制度調査会設置。 |
・布留川見也新宿に歯科開業一年にして現在地東金一一五七に移転する。 |
昭和14(一九三九) |
職員健康保険法できる。 |
・田間の長門静子一二月死亡により長門耳鼻医院廃業となる。 |
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・上宿に井合良夫歯科医院を開き、二一年田間二二六四に転住する。 |
〃 15(一九四〇) |
国民体力法公布される。 |
・上武射田秋葉玄隆の孫正一、東金一一九五に出て内、小児、産、婦人科の病院を開く。 |
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・この頃東金に熱田耳鼻咽喉科があったといわれる。 |
〃 16(一九四一) |
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・水流(つる)耳鼻科、武田眼科の一室をかりて三年間開業する。 |
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・勝田義之田間二一八二に歯科医院を開く。 |
〃 17(一九四二) |
健保国保の全面的改正を行なう。 |
・東金君塚医院休業する。 |
〃 18(一九三) |
薬事法公布される。 |
・上宿中田彦衛病により中田歯科を廃業する。 |
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医師大量養成計画樹立する。 |
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〃 19(一九四四) |
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・田間に開業中の小野鉄太郎三月二二日死去により小野歯科医院閉鎖される。 |
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・この年二月二八日東金保健所設置認可される。 |
〃 20(一九四五) |
GHQの公衆衛生対策に関する覚書でる。 |
・一〇月一日東金一二一五にて保健所業務開始される。 |
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・水流耳鼻医院転住のため廃業。 |
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・六月実方良平大豆谷に実方眼科医院をひらく。 |
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・四月家之子に石井辰次一般診療医として銚子より転住開業する。 |
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・二又に真行寺衛真行寺医院をひらく。 |
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・大沼田に山岸市之大網下ケ傍示より転居して来て歯科医院を開く。 |
昭和21(一九四六) |
生活保護法公布される。 |
・田間石井産婦人科院長死亡により廃業。 |
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・一〇月下武射田に桜田歯科医院(院長桜田博光)開業。 |
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・児保孝雄四月に関下三四八に内科、小児科医院をひらく。 |
〃 22(一九四七) |
保健所法の全面改正が行なわれる。 |
・社団法人山武郡医師会設立、同山武郡歯科医師会も一一月一日に設立される。 |
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・田間石井医院あとに浅井利勇、内科精神科の浅井医院を開業。 |
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・小田歯科(小田光夫)-岩崎、木村歯科(木村圀栄)-岩崎、西本内科・小児科(西本幸一)-前之内に開業する。 |
〃 23(一九四八) |
優生保護法、性病予防法公布される。 |
・五月一日東金保健所に花柳病診療所を併設する。 |
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・岩崎鈴木耳鼻科廃業。 |
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・新宿山口外科医院廃業。 |
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・田間小倉文彦死亡により小倉病院休業。 |
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・小倉病院にて矢野亘耳鼻咽喉科を開き五年後の二八年岩崎にうつる。 |
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・田間浅井病院に一二月より耳鼻咽喉科を加え荒木正直これに当たる後荒木医院東金一〇五二に移る。 |
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・八月一〇日橋本禎三郎東京へ転出、橋本歯科医院廃業する。 |
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・家之子石井医院再び銚子に転出。この地無医村となる。 |
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・三月八日下武射田に三宅産科医院(院長三宅廸子)開業する。 |
昭和24(一九四九) |
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・東金の熱田耳鼻科廃業。 |
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・七月大多和医院(内科・小児科)東金一四三六に開業。院長大多和寿一。 |
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・佐久間医院内科、小児科となる。 |
〃 25(一九五〇) |
精神衛生法成立する。 |
・五月三〇日保健所は東金九五七に新築移転し、山武保健所となる。 |
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・東金七三六に国分信産、婦人科泌尿器科の国分医院をひらく。 |
〃 26(一九五一) |
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・新宿に平山外科医院(院長平山修)開業する。 |
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・二又真行寺医院東京に転住廃業。 |
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・この年始めて健歯児童審査行なわれる。 |
〃 27(一九五二) |
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・保健所松尾支所できる。 |
〃 28(一九五三) |
癩予防法公布される。 |
・田間に斎藤一夫、斎藤外科医院をひらく。 |
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国際社会保障会議(世界労連)行われる。 |
・総合病院として八月台方一六五四に千葉県立東金病院開設される。院長久賀冬鯉、内・外・小児・整形・産婦人・皮膚・泌尿器・麻酔・脳神経・放射線・呼吸器・循環器・理学診療・消化器科をおく。 |
昭和29(一九五四) |
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・三月二八日松尾保健所独立により保健所は再び東金保健所と改称する。 |
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・熱田英雄東金二二三の一に産婦人科熱田医院をひらく。 |
〃 30(一九五五) |
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・田間斎藤外科埼玉県栗橋に転住廃業。 |
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・田間矢野耳鼻科東金に転住のあと小倉武彦内科産婦人科小倉病院を再開する。 |
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・田中の柿栖内科(柿栖衛)病を得て休業する。 |
〃 31(一九五六) |
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・四月医薬分業実施される。 |
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・北幸谷の矢野鹿之助死去のためその子学、春江夫妻帰郷して家をつぐ。夫産婦人科医、妻外科医。 |
〃 33(一九五八) |
国民健康保険法公布 |
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〃 34(一九五九) |
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・田間浅井医院家徳三八の一に移転し、精神科、神経科、内科の病院となる。 |
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・砂郷上田弁之輔(産婦人科)廃業、静養に入る三七年死去する。 |
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・田中の柿栖米夫上宿に転出し眼科開業。一〇年後の四四年七月現在地東岩崎にうつる。 |
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・小野手嶋昇三一〇月三日死亡につき手島医院を閉鎖する。 |
昭和35(一九六〇) |
病院スト全国に広がる。 |
・東金田波啓老齢病を得て休業、三六、五、七死去。 |
〃 37(一九六二) |
社会保険庁発足する。 |
・八月一日台方四〇の四に郡山郁子、児保診療所をひらく(内科・小児科)。 |
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・下武射田の産婦人科三宅廸子内科・小児科に転ずる。 |
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・油井五五の一に岡崎洋一郎内科・小児科・外科・X線科の岡崎医院をひらく。 |
〃 39(一九六四) |
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・東金矢野亘病のため七月入院八月五日死亡により廃業する。 |
〃 40(一九六五) |
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・北幸谷の矢野医院院長死亡のため廃業。 |
〃 41(一九六六) |
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・東金保健所に保健指導課を新設し四課制となる。 |
〃 42(一九六七) |
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・田間小倉医院転居のため廃業する。 |
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・石橋熹尚一〇月に田間に歯科医院をひらき、九年後の五一年五月現在地に移る。 |
〃 46(一九七一) |
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・東金保健所庁舎を東金九〇七の一に新築する。 |
〃 47(一九七二) |
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・両総病院一二月一七日開業、医療法人三矢会両総病院といい、東金三一四に建つ。院長吉永雅俊、内・外・小児・胃腸・整形外科及び外科の総合病院となる。 |
〃 48(一九七三) |
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・上宿吉橋医院長吉橋孝一二月死去のため休業する。 |
昭和49(一九七四) |
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・今井史規田間一一三〇に内科・小児科の今井医院をひらく(六月)。 |
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・四月吉橋重遠吉橋内科診療所を再開する。 |
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・東金中村医院長中村寛死亡のため休業。 |
〃 50(一九七五) |
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・中村医院のあとに女婿岡本成通開業。中央クリニックとして五四年より東金一二六七に出る。(内科・神経科・小児科・皮膚科・放射線科・泌尿器科をもつ) |
〃 52(一九七七) |
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・一二月三〇日上宿の橋本歯科医院長橋本吉治死去のため休業する。 |
〃 53(一九七八) |
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・四月東新宿八の一一に原進、内科・小児科・放射線科の原医院を開く。 |
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・八月一日、求名一九三の四に石橋茂登子和光歯科医院を開業する。 |
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・下武射田の桜田歯科(桜田博光)休業する。 |
〃 54(一九七九) |
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・押堀三省堂医院院長原衛老齢のため廃業する。 |
〃 55(一九八〇) |
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・五月堀上七六の一に河宇伸有産婦人科診療所を開く(内科・小児科・産婦人科)。 |
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・三月井合良夫死去井合歯科廃業する。 |
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・一二月一日東城博之東金八八三の三に東条歯科医院をひらく。 |
昭和56(一九八一) |
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・郡歯だより創刊号発行される。 |
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・東金国分医院長国分信一一月九日死去のため廃業。 |
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・三月二三日東金七三三の八に二木歯科医院開業。院長二木昇人。 |
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・五月山口誠一郎東金四四二に山口歯科医院開業。 |
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・六月児保孝雄死去のため関下児保医院廃業。 |
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・一二月五日広森歯科、院長広森武夫死亡に付き廃業。 |
〃 57(一九八二) |
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・松之郷に鈴木歯科できる。院長鈴木能文。 |
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・山武郡市医師会員九月現在六〇名そのうち東金の医師は一四名を数える。 |