昭和四〇年(一九六五)、斎藤良夫氏によって設立された。当時東金市に美術関係者の大同団結による地方文化向上の気運が高まっていた。斎藤良夫氏は同好の士と相はかり、会員一八名をもつ東金美術協会設立にも尽力した。この美術協会は、年間会費五〇〇円とし、展覧会を年二回開くことで発足したが、栄枯盛衰のあとをたどり今は解散している。
椿会は東金美術協会の中核となっていたもので、設立当初一六名、昭和五八年一二月現在一八名の会員をもつ洋画愛好者の集いである。
設立と同時に、「新槐樹社」という会に全員そろって加盟した。
会則等はないが、会費は月一〇〇〇円で、春秋の写生会、椿会展および東金市文化展の展示会、加えて中央の新槐樹社展、その他数回の美術展に出品し研鑽につとめている。
事務所は東金市東金一一三一番地斎藤良夫宅であり、定例会は月三回、事務所で行なっている。
斎藤良夫氏は、福島県に生まれる。朝夕安達太郎山を望み、その四季の変化に驚異の目を開いてこの道に入る。兄君は菊作りで県内右に出る者なく、菊芸術に名高い。兄弟そろっての芸術志向はこの地の風土の育くんだものかも知れない。日展連続入選、新槐樹社賞・美術報知社賞・文部大臣賞等を受賞し、現在新槐社審査委員、日本美術家連盟会員、千葉県美術協会会員として活躍し、自ら研鑚に励みながら地方芸術文化向上をねらって後進者の育成に当っている。