杏書道会

1100 ~ 1101 / 1145ページ
 「あんず書道会」は、昭和三八年(一九六三)斎藤一夫氏によって組織されたものである。
 当時、敗戦後一時忘れられていた書道への関心が高まり、学校教師や児童生徒が競って書道へと押しよせた。
 したがって、杏書道会は、この勢いの中に育ち、始め二〇~三〇名だった会員が一~二か月の後には一〇〇名にも達した。
 その後二〇年、現在は二〇〇人程の会員が筆をとって学習しているが、多い時は四〇〇名を数えたこともあるという。
 練習日はしたがって週三日(水・土・日曜)とし、水・土曜は午後一時より、日曜は午前午後の練習時間をもっている。勿論どの日に出席しても自由である。
 会費は月三、〇〇〇円、事務所は東金市東金七三六の一二に置いている。
 斎藤一夫氏の談によると
 
「杏とつけたのは、杏(きょう)林が医者であり、杏壇が学問をする所、私の祖父は自分の居間を杏花書院とよんでいた、そんなことどもを考えながら、戦後の人々の心をいやし、真剣に学ぶ書道研修所といったようなことをねらったものです。」
 
 という。
 夏、冬の展覧会、各種の公募展への応募、そして市の文化祭への参加等を行事としてこの道の発展のために努力している。
 斎藤一夫氏は東金市幸田に生まれ、号を新洞、字を貫郷という。祖父東湾は学者であり、特に漢詩をよくし、市内各地に東湾の書が数多く残されている。明治の始め学制発布されると進徳小学校・朝宗学舎(中学)をたてるなど教育者としても有名(本巻「人物篇」参照)。父胖氏は師範学校卒後学校の教師とし、かたわら書はたんのうであったといわれる。