東金吟詠会

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 昭和五〇年(一九七五)一〇月、東金市上宿、小川芳司氏がその開設を提唱した。
 小川芳司氏はその縁筋にあたる八日市場市の日本修道流宗家の太田修道氏を招いて指導をうけることにして、会員募集に当ったのである。
 この呼びかけに応じて一三名の会員が集った。主として、上宿・谷の人々であった。
 東上会館(上宿の集会所)を会場にして練習に励むこと二~三年、この間に太田修道氏の指導をうけた老人大学の人々が大挙加入したため会場が手ぜまになって、昭和五二年(一九七七)中央公民館を会場として、毎月第二第四火曜日を定例会とした。この両日は午後第二部の人々、夜第一部の人々の練習時間をもったのである。
 現在、会員三八名(第一部一三名・第二部二五名)である。
 会費は始め月二、〇〇〇円後二、五〇〇円となる。会則はない。ただ発足当時から、日本修道流吟詠会に加盟していて、本部の会則に則って会を進めているのである。
 年間事業としては、初吟会(東金・本部)吟行会・芸能発表会等があり、本部行事であるコンクール、神社奉納大会・県吟詠会等に参加等をしている。
 事務所は東金市東上宿市原英夫氏宅にある。
 日本修道流吟詠会は、太田修道氏のおこすところ。太田氏は醤油醸造の家に生まれ、中学時代から吟詠にはげみ、各種コンクールに優秀な成績をおさめ、戦時は職業軍人であったが戦後政界に身をおき、八日市場市長として治世にその実をあげた。
 一方修道流吟詠会の宗家として、全国的に会員を持ち、吟詠界に太田修道の名を高めた。
 たまたま修道流を名乗るものが二~三あったので、全国吟剣詩舞道総連盟会長笹川良一氏より、「日本修道流」を名のるよう指導され、現在「日本修道流吟詠会」と称している。