春陽音楽研究会は、「子どもたちに単にピアノやバイオリンの技術を教えるということでなく、音楽の美しさ、立派さに心打たれ、その真髄にふれることのできるような心を育てる。」ことを目的として、昭和二二年(一九四七)九月に、東金市東金一一八五に住む大野桂氏によって設立されたものである。
大野氏は次のように語っておられる。
「昭和一一年頃から実質的にはピアノ指導をしていました。家内が第一号の弟子であり、娘の亮子もその一人で、当時は個人指導に過ぎませんでした。
戦後の世は食糧難の時であり、敗戦のいたでにすべての人が呆然自失の時でしたが、こうした時こそ音楽の美しさ立派さに心打たれその真髄にふれることが大切だと考えて、春陽音楽研究会を発足させたものです。
春陽という会の名称ですが、
『霞立つ長きはるびを子どもらと手まりつきつつ今日も暮らしつ』
という良寛の歌によったもので、子ども達を愛しながら、音楽に感動できる子を育てようとの意を持たせたものです。」
創立以来、本年(昭和五九年)で三七年経つが、創立当初は会員二〇名、現在は会員七〇名で、三七年の長い星霜の中には、入会・脱会等があり、学んだ者の数は多い。その中には、専門の音大に進み、教授活動をする者、演奏活動に携わる者、ピアノ指導に当たる者等が多い。
当初は「春陽」という冊子を発行し、会則もきまっていたが、大野氏が心理学者でもあって、大学等での講義が多く、遂に廃刊に至ったというが、年一回の千葉市における発表会(会員に東京方面の人が多く、お客様も千葉以北が多いため)は本年で三三回に至っている。
昭和四二年(一九六七)、バイオリンの指導も加え、週五回のレッスン日には、ただ単にレッスンだけでなく、音楽に関係する色々な話をしたり、語り合ったりして研修につとめている。
なお、当初はコーラス指導やレコード鑑賞なども行なったが現在は行なわず、昭和五二年(一九七七)から研究発表会に作曲家を招いて、作曲の心をきき、講評をうけたりしている。昭和五八年度は中田喜直氏を招いている。
事務所は東金市東金一一八五番地の自宅に置いている。
氏は、この春陽音楽研究会を主宰するばかりでなく、千葉大学・千葉敬愛短期大学・千葉女子専門学校等の講師として、心理学を講義されているが、全日本ピアノ指導者協会千葉支部顧問でもあり、多忙の生活の中にも著作活動もし、趣味としての和歌、面作り彫刻等にも精励している。
深沢亮子氏は氏の長女である。