東金青年会議所

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 昭和四五年(一九七〇)、川口幸雄・遠山和秀・小林清益・大高和郎・中田治雄氏ら約八名程が集って、時世を論じ、政治を語り、自らの研修を話しあい、将来を考え、社会奉仕に対する青年の姿勢・あるべき姿を討議し、ここに東金青年会議所の創立が相談されたのである。
 時に昭和四五年(一九七〇)一〇月五日であった。
 代表として川口幸雄氏が選出され、初代理事長となる。
 当時、県内で最も古いという茂原青年会議所がスポンサーとなり、この設立に指導協力を得たというが、この会はひとり東金市のみでなく発起人の顔ぶれでもわかるように、山武郡市内によびかけられた。
 
「そのよびかけは、二〇歳以上四〇歳までの職業青年男女で、若い力と情熱をもって自らの研修、社会奉仕を通して地域の発展、地域住民の幸せ作りに立ち上がろう。」
 
といったものだったが、この呼びかけにこたえて創立当時は約五〇名程の会員を得たと記憶していると大網白里町の中田治雄氏は語っている。こうして「昭和四六年六月二〇日(日)県立東金高校体育館において全国から多数の仲間を迎えて日本青年会議所から認承伝達式が行なわれ、全国四五九番目の組織団体となったのである。」ことが「広報とうがね」昭和四六年六月一五日号(第二〇八号)に報告されている。
 この会が法人化し定款を決定したのは昭和五一年(一九七六)四月一日である。
 代々の理事長を列挙すると、
 
初代 川口幸雄 昭和四五~四六年度
二代 遠山和秀 昭和四七年度
三代 金杉等 昭和四八年度
四代 小林清益 昭和四九年度
五代 大高和郎 昭和五〇年度
六代 斎藤守広 昭和五一年度
七代 水野修 昭和五二年度
八代 西川康雄 昭和五三年度
九代 向後良倖 昭和五四年度
一〇代 鈴木康道 昭和五五年度
一一代 太田彰彦 昭和五六年度
一二代 早野誠 昭和五七年度
一三代 鈴木伝二郎 昭和五八年度
一四代 赤松源之助

 赤松氏は昭和五九年度の理事長で、定款により一月から一二月の事業推進者であるが、
 
「各事業は単年度制で、年度当初いち早く、事業活動方針を決定し、各委員会メンバーを確認して、委員会で実施していただくようにしている。講演は毎年度行なっており、近くは高田弘胤師、竹村健一氏などがある。東金のヤッサ祭りには、ミスヤッサ祭りコンテストなども行なっている。」
 
 といろいろ語ってくれた。
 各委員会については、定款に定める通りで、青年会議所は、その三条に示す目的達成のため、諸事業を行ない、山武郡市地区の文化の向上に貢献している。
   定款
第一章 総則
 (名称)
 第一条 本会議所は、社団法人東金青年会議所という。
 (事務所)
 第二条 本会議所は、事務所を千葉県東金市東金六九三番地におく。
 (目的)
 第三条 本会議所は、地域社会のより良い発展を願い、福祉国家の実現を図り世界の平和と繁栄に寄与するとともに、会員の指導力を開発することを目的とする。
 (事業)
 第四条 本会議所は、前条の目的を達成するために次の事業を行なう。
    (1) 地域社会の産業・経済・文化に関する研究・調査活動事業
    (2) 講演会・講習会を通じた市民意識の高揚
    (3) 各種行政機関および住民との連絡調整
    (4) 国際青年会議所、日本青年会議所および国内国外の青年会議所並びにその他の諸団体との交流および提携
    (5) 会員の指導力の開発及び相互の親睦に資する行事の開催
    (6) その他本会議所の目的を達成するために必要な事業
 (運営の原則)
 第五条 本会議所は、特定の個人、又は法人その他の団体の利益を目的としてその事業を行なわない。
    2 本会議所は、これを特定の政党若しくは政治団体のために利用しない。
第二章 会員
 (会員の種類)
 第六条 本会議所の会員は次の四種とする。
    (1) 正会員 東金市および山武郡に住所又は勤務先を有する年齢二〇歳以上四〇歳未満の品格ある者
    (2) 特別会員東金市および山武郡に住所又は勤務先を有する者で、上記年齢をこえる品格ある者
    (3) 名誉会員本会議所に功労のあった者
    (4) 賛助会員本会議所の趣旨に賛成し、その事業の発展を助成することを望む者
  (入会)第七条 (入会金)第八条 (会費)第九条 (権限)第一〇条 (会員資格の喪失)第一一条 (除名)第一二条 (会費等の不返還)第一三条第三章役員 (種類)第一四条 (資格および選任)第一五条 (職務)第一六条 (任期)第一七条 (解任)第一八条
第四章会議 (種類)第一九条 (構成)第二〇条 (権能)第二一条 (開催)第二二条 (招集)第二三条 (会議の議長)第二四条 (定足数)第二五条 (議決)第二六条 (書面による表決)第二七条 (議事録)第二八条
第五章例会および室並びに委員会 (例会)第二九条
(委員会)
第三〇条 本会議所は、その目的を達成するために、別に定めるところにより委員会をおく。
第六章資産および会計(資産の構成)第三一条 (資産の管理)第三二条 (経費の支弁)第三三条 (予算および決算)第三四条 (会計年度)第三五条
第七章定款の変更および解散 (定款の変更)第三六条 (解散および残余財産の処分)第三七条
第八章雑則(委任)第三八条
附則1、2、3
 
なお、運営規則第九条、庶務規則第一八条、会員資格規則第二〇条、役員選任の方法に関する規則第一六条等があるが、運営規則第四章委員会の項に
 第五条 社団法人東金青年会議所定款第三〇条の規定にもとづき、次の各号委員会を設置する。
    (1) 総務委員会
    (2) 広報委員会
    (3) 会員委員会
    (4) 指導力開発委員会
    (5) 経営開発委員会
    (6) 社会開発委員会
    (7) 青少年開発委員会
    2 別に必要のあるときは、理事会の承認を経て特別委員会を設置することができる。
 とあるのを記しておく。最後に初代会長でこの青年会議所生みの親といえる川口幸雄氏の言葉をつけ加えておこう。
 
「当時ロータリークラブに属していたが、その若手の方々とはかって東金青年会議所を設立したものです。殆んどていこうなく出来ましたが、話し合って見ると意見の相違は大きな問題でした。しかし私は、年齢や職業や置かれている立場が違うのだから意見の相違は当然なこととして、互いの意見を尊重しつつ会員の融和を第一としたものでした。
 現在でもそうですが広域だったし、女性会員もありましたが、今では女性会員はいません。
 あえて苦労したことといえば財政上の問題でしょう。会費については問題はなかったのですが、諸経費捻出のため新聞を刊行し、広告料をとって基金づくりをしたものでした。
 ヤッサ祭りはそうした基金をもとに有形のものを作り出そうとして出来たものです。
 定款は日本青年会議所の定款と殆んど同じです。青年会議所のねらうところは友情・奉仕・開発といったスローガンの方がわかり易いでしょう。千葉県では十二~三番目の会議所で、東金としては発足がおそかったという感がします。創立の時、深沢亮子さんやダークダックスを呼んだものでした。」