これはライオンズクラブの誓いである。
この誓いに生きて、現在活動している東金ライオンズクラブの会員は四四名である。
東金にライオンズクラブが誕生したのは、昭和四一年(一九六六)の始めであった。
この頃、千葉ライオンズがスポンサーになって、各地にライオンズクラブ誕生のムードがただよっていた。東金市においても、鈴木勝・石橋一弥・上田鉄雄等の各氏が、この気運を感知していた。
当時のことについて、上田鉄雄氏はこう語っている。
「このライオンズ結成のムードの中で、一宮・旭・東金などが相ついで結成したものです。
当時、集った人々は、鈴木勝・石橋一弥・桜井熊雄の各氏の他私を含めて三二名がありました。(結成当時のチャーターメンバー氏名はこの項末尾参照)
始めから東金だけのライオンズクラブでなく、今のロータリークラブのように、大網白里町・九十九里町・成東町・山武町等からもこの趣旨に賛同して参加してくれたものです。
昭和四一年(一九六六)一月一九日に結成式をあげ、会長に鈴木勝氏を選出しました。
その年の一〇月九日、シカゴから認証状が到達したので、その伝達式を県立東金高等学校を会場として行ない、正式に(ライオンズクラブ国際協会三〇二E地区」の一員となりました。
その後、国内にクラブが次々と誕生し、この激増に伴って地区の編成が数次にわたって行なわれて、昭和五六年(一九八一)より「三三三C地区第七リジョン第二ゾーン」の一クラブとなって、現在に至っています。
ライオンズは、三役といって、会長(副会長)幹事、会計があり、初代の副会長は、桜井熊雄(九十九里町)、中田治久(大網白里町)、山本秀行(山武町)の三名で、幹事は、石橋一弥(東金市)会計は霞明(東金市)の各氏が選出されました。」
ライオンズクラブの定例会は月二回であるが、
第一水曜日は委員会(参会者一五~六名)
第二水曜日は第一定例会(参会者全員)
第三水曜日は理事会(参会者一五~六名)
第四水曜日は第二定例会(参会者全員)
というように、各水曜日の夜(夏七時より、冬六時半より)開かれ、会場は、殆んど東金商工会議所を使用している。
活動の主なものは
一、会員全員が腎臓提供
二、アイバンクへ全員登録
三、献血運動への協力
(年二回、五月・一〇月に実施)
四、海水浴場の救護活動の実施
(七月中旬より八月中旬に至る一か月間、毎週日曜日、医師同道の上、海水浴客の救護活動をする。)
五、環境浄化その他
1 忠魂碑・表忠碑等の清掃および献花
(各地区毎に実施)
2 養護学校児童・生徒慰問
(毎年一二月二〇日から二四日迄の間の水曜日を利用し、県立東金養護学校生徒約一八〇名に対し、クリスマス慰問を行う。経費およそ二〇万。)
3 ガーデンフットボールの後援
(始めは協賛していたが、現在は後援に切り変えている。)
4 少年野球の主催
5 その他の奉仕活動
であるが、これの基礎となっているものは、
「We Serve」(われわれは奉仕する)
というモットーに則って、広く人類愛・国際愛の上に立っての奉仕活動であることは言うまでもない。
すなわち、自己研修としての「知性高揚・友愛・寛容精神の育成・平和と自由の遵守」を行ないながら、奉仕活動としての「社会奉仕」ということを実践していると言える。
会員は、前掲の通りであるが、年齢に制限はない。
会費は、年間一二万円であり、入会時には入会金として二万円が規定されているが、種々の活動に伴って徴収金も数多くあるという。会則は長文にわたるので、省略するが、前記の「三三三C地区第七リジョン第二ゾーン」について記すと、
三三三………千葉・茨城・栃木・群馬・新潟の五県ブロックに与えられたものである。
C地区………三三三のうち、新潟・群馬県をA、栃木・茨城両県をB、千葉県をCとして区分した地区名である。
七リジョン…千葉県を七つに区分して、その七番目の地区であり、山武郡市・長生郡市を含む地区である。
第二ゾーン…七リジョンのうち、茂原を中心とする地区を第一ゾーンとよび東金市を中心とする地域を第二ゾーンと名付けたものである。
次図を参照されたい。
なお、会長等役員の任期は七月一日に始まり翌年六月末日に終り、再選は認めない。
昭和四一年以降の歴代会長は次の通りである。
初代 | 昭和四一・一~四二・六 | 鈴木勝 |
二代 | 昭和四二・七~四三・六 | 桜井熊雄(九十九里町) |
三代 | 昭和四三・七~四四・六 | 国分信 |
四代 | 昭和四四・六~四五・六 | 飯高孔(九十九里町) |
五代 | 昭和四五・七~四六・六 | 山本秀行(山武) |
六代 | 昭和四六・七~四七・六 | 上田鉄雄 |
七代 | 昭和四七・七~四八・六 | 増田喬(大網白里) |
八代 | 昭和四八・七~四九・六 | 佐久間栄枝 |
九代 | 昭和四九・七~五〇・六 | 安藤七三郎 |
一〇代 | 昭和五〇・七~五一・六 | 内山信治郎 |
一一代 | 昭和五一・七~五二・六 | 村杉正雄 |
一二代 | 昭和五二・七~五三・六 | 三橋昭二 |
一三代 | 昭和五三・七~五四・六 | 庄司隆道 |
一四代 | 昭和五四・七~五五・六 | 長谷川恭延 |
一五代 | 昭和五五・七~五六・六 | 深山穣次 |
一六代 | 昭和五六・川~五七・六 | 土屋舜 |
一七代 | 昭和五七・七~五八・六 | 黒川赳夫 |
一八代 | 昭和五八・七~五九・六 | 平本喜一 |
ライオンズクラブとは、そのスローガンである
リバティ | Liberty | 自由を守り |
インテリジェンス | Intelligence | 知性を重んじ |
アウア | Our | われわれの |
ネーションズ | Nation’s | 国の |
セーフティ | Safety | 安全をはかる |
の夫々の頭文字から生まれたものであるという。
一九一七年(大正六年)アメリカ合衆国シカゴ市に創設者メルビン・ジョンズ氏によってライオニズムの理想が描かれた。
そして、第二次世界大戦終了後、一九四八年(昭和二三年)にフランス、翌年イギリス、更に一九五一年ドイツとこのライオンズクラブは結成されて行った。
わが国へは昭和二七年(一九五二)フィリピンがスポンサーとなって、この灯がともったのである。
前記の「スローガン」「モットー」「ライオンズの誓い」がライオニズムの究極の目的である「世界の平和の実現」にあることはいうまでもない。
(参考)結成当時のチャーターメンバー(敬称略)
鈴木勝 桜井熊雄 中田治久 山本秀行
石橋一弥 国分信 佐久間満 霞明
塚本忠男 植松亀治 木村一也 高橋利章
岡本信一郎 布留川進 上田鉄雄 藤崎末吉
鈴木堯 飯高孔 柿栖米夫 長野康巳
榊原吉雄 霞岩夫 椎名喜一 庄司隆道
安藤七三郎 伊東政幸 内山信治郎 市東重治
鈴木定治 堀江正修 佐久間栄枝 直行寺直芳
木島暉里 布施六郎 木原常次郎