「旧石器時代」のさらに詳しい解説

 著名な博物館学者でありながら、イギリスの銀行家でもあったジョン・ラボック(1834年-1913年)は、自著『先史時代』に初めて「旧石器時代」という用語を使った。地質学においては、すでにこの時代は第四紀( だいよんき ) と位置づけられ、その後人類の活動、氷河期(ウルム氷期)の発達がみられる第四紀前半を更新世といい、これ以降を完新世と区分されている。また永年の旧石器時代研究をもつヨーロッパでは、旧石器時代を下部、中部、上部に分け、この区分に対して概ね人類進化の段階である原人・旧人・新人に対応させている。日本では1949年(昭和24)、相沢忠洋が群馬県の岩宿遺跡で関東ローム層中からこの時代の石器を発見したことがきっかけとなり、それ以後続々と各地域で遺跡の発見につながっていった。それらの動向に相応するように、日本の旧石器時代を石器の形態研究、理化学的年代測定、自然環境等から前期(約13万年以前)・中期(約13万年~3万年前)・後期(約3万年~1万年前)に区分する案が提示されている。
 房総半島では現在、前期・中期旧石器時代の遺跡は発見されていない。後期旧石器時代では海面が現在より100m以上低下し、関東平野全体が陸化した。この陸化及び海面の大きな低下により河川の浸食を受けやすくなり、深い谷が多く形成された。遺跡の分布図をみると、河川や湖沼に沿った台地縁辺部に多くの分布がみられ、水辺は飲料水の確保だけではなく、生活の場、水を求める獣の捕獲場などに利用し、人・集団の交流・交通の役割も果たしていたと考えられる。
 日本列島は、火山国と言われていることもあり、その土壌は有機物が残りにくい酸性となっている。とくに2万4千年~2万2千年前に噴火した鹿児島県の姶良( あいら ) カルデラの噴出物(姶良Tn火山灰 AT)の堆積も関東地方を含めて広範囲にみられる。しかしながら、逆にこの発見は後期旧石器の編年に大きな画期をもたらしたのである。
 旧石器時代の研究は、上記の制約等から石器中心とならざるを得ないが、その研究から当時の生活用具には様々な素材、たとえば動物の骨・角、皮革、木材、樹皮、植物繊維など多種多様なものが指摘されている。またこの時代は土器を持たない時代であることも考慮し、当時の自然環境や文化を石器という遺物を通して復元することは重要な課題であろう。
※東金市内の主な旧石器時代遺跡(発掘調査された遺跡)
遺跡名・報告書名 所在地 遺物 備考
鉢ヶ谷( はちがや ) 遺跡
▶小野山田遺跡群Ⅲ
東金市小野字西ノ浦1064番地他 打製石斧・ナイフ形石器・掻器・削器・彫刻刀形石器 等 石器集中個所(環状ブロック5ヶ所・ブロック2ヶ所)
滝東台( たきひがしだい ) 遺跡
▶油井古塚原遺跡群
東金市油井字丑子台1164-2 石刃・削器・石核・彫器・剥片 石器集中個所(ブロック2ヶ所)