土偶等の出土状況

 鉢ヶ谷遺跡(小野山田工業団地内)から出土した土偶ほか3点の遺物は、平成8年(1996)10月に発見された。時期は縄文時代中期初頭(約4,500年前)に比定され、この時期の墓跡(土壙)に副葬された事例は全国的にも珍しい。土壙は一部他の遺構から切断されるが、その規模は最長上径約1.4m、底径0.8m、深さ0.6mの円形を呈する。出土状態及び堆積土層の観察から、意識的に埋め戻されたと考えられる。小型の深鉢形土器と舟形土器は、寄り添うように逆位(底部が上)で出土、また舟形土器の中には入れ子状態で椀形土器(正位)が確認された。この椀形土器の内面には乳白色の付着物がみられ、付着の状態から土器内面を塗彩したものでなく、粘質の液体状のもの(生漆か)を入れていた可能性が高い。その傍らに土偶(高さ9.5cm)が横位の状態で出土し、腹部の遺存は悪く、脆い状態(破損か)であることが確認された。舟形土器は用途・機能において明確に言えないが、柄杓的機能を連想する。
 土偶の特徴から、おそらく甲信地域から運ばれたことが指摘でき、在地系の共伴土器3点とともに祭祀・儀礼に用いられた後、埋納されたと考える。
 これまでのことから、次のことを推測する。つまり土坑が大人用の墓跡であること、土偶が壊されなかったこと(民俗学的に無事出産すると、感謝して細かく砕いて大地にまく行為がある)から、母親とその子が死亡した(無事出産できなかったか)、また小型の深鉢形土器がやや浮いて逆位(口縁部下)に出土したことは、おそらく子どもの頭に被せた可能性が考えられる。非常に興味深い資料といえよう。
 平成14年3月29日に「鉢ヶ谷遺跡第1号縄文土壙出土遺物 一括」として千葉県指定有形文化財(考古資料)に指定された。

①土偶ほか一括出土遺物


②出土状態1(中央にやや浮いた状態で出土)


③出土状態2(土偶が寄り添うように出土、舟形土器の下とり椀形土器出土)


④椀形土器の内部付着物(剥がれている状態)