まずは、(1)有段遺構から出土した深鉢形土器(口径約30cm、器高約50cm)。貝類と共に出土し、その状況から遺構の廃棄後に捨てられたと考える(写真A)。遺構出土の遺物には、当遺構の使用者に関連するものやほとんど関係なく単に廃棄されたものなど、幾つかの行動パターンによる「廃棄」が想定される。このことを考慮して、(2)の土器は本住居跡のピット内より逆位の状態で埋められていた(写真B)。しかしながら、土器をわざわざ逆位にしてピットに埋める意味は明確ではないが、特別な意識がそのモノ(内容物?)に働いていたことは確かであろう。写真Cは住居内において土器を使った炉跡で、僅かに位置を変えながら3ヶ所の炉が確認された。
その他、興味ある土器の出土として写真Dがあげられる。これは住居跡の炉に土器が埋められた状態のもので、上下2個体の土器があり、さらに下位の土器内には焼土が入れられていた。しかも、この下位の土器は口縁部が打ち壊され、その部位の土器(破片)が上位の土器の上に覆い被せられた状態で出土。これは非常に興味ある行為であり、焼土に対する精神的な意識がうかがえるため、民俗学的な視点を援用すべき事例であろうと考える。(写真は来年度掲載予定)
縄文時代の石器は、一般に大小の打製石器や磨製石器などが連想されるが、量的に多くの出土を見る資料としては、黒曜石や頁岩などで作られた石鏃・石錐・尖頭器など用途に応じたものがある。東金でも写真で示した石器類が多く出土しており、遠方の地域(黒曜石は伊豆 神津島産が圧倒的に多い)から交流・運搬したことがうかがえる。
縄文時代の石器