古代において、文字が書ける人々(階層)は一般に官人・役人である。彼らは三種の神器といわれる「筆・硯・刀子」を持つ。この中で、刀子(小刀)に疑問を持つ方が多いと思うが、これは主に木簡を削るための道具であり、削った木簡(再利用)に文字を書くための必要な道具なのである。木簡は大きく文書様木簡(召喚状や物品請求状など)、付札木簡(貢進物荷札・物品付札)、その他(告知札・呪符・落書など)に分かれる。
さて、発掘調査等で検出される文字は墨で書かれた文字(墨書文字-墨書土器)が圧倒的に多い。これらには、如何なる意味・思いが託されているのであろうか。今回の文字資料は、当地域でも代表的な文字等である。この中で注目すべき文字は「弘貫」「山口館」「井 小田万呂」「井」「馬庭」「古庁牧師」があげられ、その概要は「資料概要」で示したが、改めて「弘貫」「井」「古庁牧師」についてはもう少し加筆する。
墨書文字「弘貫」は僧尼の名前である。剃髪・出家して仏道を修行し、僧尼となることを得度
と言い、律令制下では国家による一定の手続きを経て許可される官度僧に対して、官の許可を得ず私的に得度した私度僧が存在した。この「弘貫」は私度僧といわれ、作畑遺跡(現油井の県立技術専門学校付近)のほか約3km離れた久我台遺跡(現東金商業高校)からも出土している。久我台遺跡は古代の菅屋郷に所在しており、作畑遺跡はそこから派生した集落(分村)と考えられる。おそらく菅屋郷内の仏事・祭礼(神仏習合)を共有していたことが想定される。
墨書文字「井」は一文字であるが、魔除けの呪府を示しているといわれる。しかしながら、山田水呑遺跡の場合は調査区東側の倉庫群エリアに集中して出土することから、厩牧令厩条の草・木葉の単位「圍」
をもとに井=囲=圍と考え、馬関連の草木の供給に携わる集団を示す文字の可能性も指摘できよう。文字自体の意味のほか、出土地の状況も重要な研究視点になる。
牧は律令制では兵馬司が掌り、国司は部内の牧を管掌し、それぞれの牧に責任者の牧長一人、文書事務にあたる牧帳一人、馬牛一群(100頭)ごとに牧子
二人を飼育にあてると定められている。墨書文字「古庁牧師」には「古庁」と「牧師」の二つの意味があろう。前者は古い公的施設(出土エリアには大型建物跡が在る)のこと、後者は牧子が該当しようか。当地域において、8世紀後葉に馬を飼育する牧の存在を示した資料である。
墨書文字のほか特徴的なものとして、極楽浄土の世界をイメージさせる線刻画(鉢ヶ谷遺跡)、東金市に近接する遺跡からは出身地名?文字が刻まれた紡錘車(大網白里市南麦台遺跡)、仏様の顔を描いた人面土器(佐倉市八木山ノ田遺跡)、そして今の畜産センターから出土した公印「山邊郡印」(青銅製、8世紀後半)があげられる。
これらの文字・絵が当時の社会・生活を反映させていたことは言うまでもない。また文字自体の解釈だけでなく、その資料に隠されている多視点の研究は資料の解釈・叙述に欠かせないものといえよう。