植松是勝(1790~1862)は山邊郡真亀村(九十九里町)出身の数学者で、東金の宿村植松利右衛門の娘 ミヨと結婚して植松姓を名乗ります。宿村の自宅に塾を開き、近隣の子弟に関流和算(※)を教授しました。
植松是勝が用いた数学書は、塾が閉鎖された後に散り散りになってしまいます。そのうち一部の数学書は子孫の方により大切に保存されています。
なお、東京都台東区の浅草寺境内に、安政五年(1868)門人たちによって建立された「五瀬植松是勝先生明数碑」が残っています。
※関流:和算の流派。関孝和を祖とする。関は18世紀前後の江戸時代の和算家(数学者)。
今回デジタル化した史料は、以下の4点となります。
○数学秘伝四集 慶応二年 植松
当時の公式集で、虫食い算などが記されています。
○第九章
算数の入門書です。書名は9の章からなる構成に由来したものとされます。
○合率連鎖 同雑類 板倉
比例式の問題集です。
○算法雑問 法道寺善
法道寺善(1820~1868)という人物が著した数学書です。代数方程式の入門書です。