東金の戦争史料

 東金には、個人所有の史料や屋外に残る史料など、戦争史料が数多く残っています。このページでは、東金に関係する戦争史料を紹介します。
 
1、「勲章」
 こちらで紹介するのは、東金市内在住の個人所有史料「勲章(勲八等瑞宝章)」「勲章(明治三十八年戦役)」です。「勲章(明治三十八年戦役)」については、日露戦争(明治37(1904)~38(1905)年)に従軍し無事生還したことを記念して与えられたそうです。
 なお、この勲章を与えられた人物は、日露戦争の際に砲兵隊の一員として従軍した記録が残っています。

勲章(勲八等瑞宝章)


勲章(明治三十八年戦役)

2、豊成飛行場
 豊成飛行場は、昭和18(1943)年に突貫工事で整備された飛行場です。翌年にはB-29を迎撃するための飛行部隊が配備されました。写真に写っているコンクリートの遺構は、格納庫の基礎部分です。

豊成飛行場の格納庫跡

3、御殿山の砲台観測所跡
 御殿山には、本土決戦時には敵軍の戦況を把握し、その情報を砲陣地へ報告する観測所が建設されました。建設途中で終戦を迎えたため観測所は未完成でしたが、観測所建設の名残は、写真のように今でも御殿山に残っています。

砲台観測所跡

4、キャンプ片貝
 現在国民宿舎「サンライズ九十九里」がある一帯は、戦後間もない昭和23年(1948)に「米軍豊海高射砲演習場」(キャンプ片貝)が建設されていました。土・日曜日を除いた毎日正午から午後6時まで、区域内で実弾射撃等を実施していました。その影響で住民への被害、漁業被害があったそうです。東金市街には、兵士たちが買い物や銭湯などに来ていました。
 なお、唯一基地内で寝泊まりを許された日本人が東金出身で、今回掲載した写真はその方が撮影した貴重な記録です。

キャンプ片貝の入り口


設置された高射砲の様子

5、忠魂碑
 東金市内には、戦争での戦没者を刻んだ忠魂碑が複数あります。忠魂碑の多くは、日清戦争・日露戦争・太平洋戦争での戦没者を刻んでいますが、中には西南戦争や関東大震災等の戦没者・犠牲者が刻まれたものもあります。なお、写真の忠魂碑は、八鶴湖に建つ日露戦争戦没者の忠魂碑です。

八鶴湖に建つ日露戦争戦没者の忠魂碑