東金の無形民俗文化財

 こちらでは、東金の無形民俗文化財を4つのジャンルに分けて紹介していきます。
 無形民俗文化財は、お囃子・獅子舞・神事など主に各地域の祭礼等で披露される伝統的な芸能などを指し、これらの文化財は、現在も地域の行事を通して人々と密接に関わっているともいえます。今まで継承される、生きた文化財に興味をもっていただければ幸いです。
 
 
【お囃子(はやし)
 お囃子は元来、能楽や歌舞伎の雰囲気を高めるために演奏されていたとされ、祭囃子は各地域の祭りに密着して発展し、起源が明らかでないものも多くあります。奏者は、祭りを主催する神社の氏子などの一般の人々によって演奏が行われています。
 この章では、「東金ばやし」と、お囃子に関係する2つの代表的な祭礼について紹介します。
 
東金ばやし
 東金ばやしは、隔年で7月下旬に行われる日吉神社の連合祭典にて演奏されます。江戸時代末から明治時代にかけて形づくられたといわれ、お囃子のグループである「下座(げざ)連」は「地方(じかた)」と呼ばれる11名前後の奏者で構成されます。楽器は横笛・締太鼓・三味線・大鼓(おおかわ)小鼓(つづみ)大胴(おおどう)などが使用されています。
 東金ばやしは昭和38年に千葉県指定文化財に指定されており、日吉神社連合祭典参加地区を代表し2つの団体が保持団体となっています。
 東金ばやしの代表的な曲目は、儀礼的な曲で、神社の前を通るときや山車・屋形が向かい合ったときに演奏される「四丁目(しちょうめ)」、山車・屋形の進行中に演奏される「通りばやし」、悪路や先を急ぐときに演奏される「馬鹿ばやし」などが挙げられます。
 その他にも、大干ばつが竜ケ崎の龍神に祈願したところ豊作となったことに由来する「雷ばやし」や、東金ばやし保存会い若会によって演奏される「い若ばやし」など団体独自の曲目も演奏されています。
 
日吉神社連合祭典
 日吉神社連合祭典は、旧暦の6月(現在の7月下旬)に隔年で行われる祭礼です。
 社伝によれば、江戸時代に起こった水利問題や干ばつが円満に解決に向かったことを神に感謝し、当時の東金郷6ヶ村(大豆谷村・台方村・辺田方村・堀上村・川場村・押堀村)が、神幸祭に併せそれぞれ楼車を繰り出して参加したことがはじまりです。以来、隔年の例祭の開催に併せて連合祭典と称し、神輿の渡御、山車・屋形の運行が9地区によって行われています。
 

山車を持ち上げる様子


集結する9地区の山車・屋形

田間神社神幸祭
 田間神社神幸祭は旧暦の8月15日(10月の初旬)に、日吉神社祭礼と交互に隔年で行われます。この理由は、当時東金と田間の土地を治めていた領主が同一であり、毎年の祭事では費用面で問題が出ると考えられたためと伝わっています。神輿を担ぐ禰宜(ねぎ)は、江戸にて購入された神輿を担いで運んだ氏子の子孫で、現在も世襲制で行われています。
 行列は、田間宮の下の山車を先頭に、威厳を示す威儀物(いぎもの)、道の神である猿田彦、田間神社の神官・役員、地区の総代・役員などが続きます。最終的には10町内の神輿・山車が行列に加わっていき、長さは最大300メートルほどになります。
 神輿は、田間地区内及び新宿区内を巡幸し終えたのち菅原神社にて休憩をとり、午後9時ごろ山車などが待つ中、田間神社へと帰って来ます。祭りの最後には「お山」といって、神輿が田間神社の本殿へと続く階段を駆け上ぼり、本殿の中へ神輿が到着すると祭りは終了します。
 

行列の様子


本殿から石段を下る神輿

 
【獅子舞】
 本来、獅子舞という名称はジャンル全体のことを指しますが、この章の中では二人で一つの獅子を演じる二人立ちの獅子舞を紹介します。二人立ちの獅子舞は大陸から伝わったものが起源といわれ、獅子頭につけた布に二人が入り、舞を行います。
 この章では3つの獅子舞について、ご紹介します。
 
北之幸谷(きたのこうや)の獅子舞
 北之幸谷地区稲荷神社の氏子に伝承された二人立ちの獅子舞です。保存団体となっている北之幸谷獅子連は、北之幸谷地区の中にあった3集落の獅子舞が統合されて誕生しました。演目の中でも「梯子のぼり」は、獅子が長さ10メートルのはしごに登る勇壮な舞です。
 

北之幸谷の獅子舞

家之子(いえのこ)の獅子舞
 家之子の獅子舞は、元文元(1736)年から五穀豊穣と家内安全を祈願するものとして盛んになりました。獅子頭を生きた獅子同様に動かし、神楽の曲に合わせて舞うもので、年5回獅子舞が奉納されます。
 

家之子の獅子舞

道庭(どうにわ)の獅子舞
 道庭の獅子舞は秋の祭礼で披露されています。稲荷神社に奉納の後、五穀豊穣、家内安全を祈願し各家庭を巡っています。江戸時代より獅子舞や出し物をお祭りに舞台を作り演じてきましたが、昭和三十一年に一度活動を休止しました。平成八年に産土様(稲荷神社)を新築したことを契機に、獅子舞を復興しようと四十年ぶりに復活を果たしました。
 お囃子の演奏ができる人は笛と太鼓、獅子舞も平神楽だけでしたが、同様の演奏を行う豊成地区の二又、山武市の森地区から指導を受け新たな演奏も取り入れています。
 

道庭の獅子舞

 
鞨鼓舞(かっこまい)
 鞨鼓舞は、獅子頭を頭部につけ、一人立ちで演じられ、三匹で舞を行う三匹獅子舞の一種です。鞨鼓舞という名称はこの腹部につけた「カッコ」に由来し、この呼称は千葉県の安房・上総地域以外ではほとんど見られません。
 獅子役は腹部に太鼓を付け、それを打ちながら囃子方の笛と歌に合わせて舞います。寺社の境内で舞を披露した後は、地域内のお堂や家々を一軒ずつ演じる村廻りなどが行われます。この章では、3つの鞨鼓舞を紹介します。
 
小野表谷鞨鼓舞(おのおもてやつかっこまい)
 小野表谷鞨鼓舞は、村の鎮守の神楽として古来より伝承されています。現在は年一度、十月の第三土曜日に行われています。早朝より社参をし、戸別に亘って五穀豊穣と無病息災、家内安全祈願の悪魔払いを行いながら夜更けまで囃子が続けられます。舞は雄獅子、雌獅子、子獅子の三頭で舞い、四方がかりの舞では雄獅子と子獅子とが雌獅子を取り合う場面が二回ありますが、お互いに勝負はなく世の安泰を誓った舞いとされています。
 

小野表谷鞨鼓舞

幸田鞨鼓舞(こうだかっこまい)
 幸田鞨鼓舞は、十月十九日に近い日曜日に本光寺、八幡神社、熊野神社、水神社の前にて行われる鞨鼓舞です。境内で舞った後は、区内を回り氏子の五穀豊穣・家内安全を願います。また村境では、地区内に疫病や悪魔が入り込まないように、刀で四方を切り追い払う辻切りの舞を踊ります。舞の型は辻切りの他に、シャラブ・宮参りなどがあります。起源は不明ですが、享保年間(一七一六~一七三五)に幸田橋が架けられたときに鞨鼓舞が盛大に行われたと伝えられています。
 

幸田鞨鼓舞

菱沼(ひしぬま)の獅子舞
 菱沼の獅子舞は、正月のおびしゃ、十月の秋の祭礼の際に水婆神社にて奉納される鞨鼓舞で、五穀豊穣・悪魔(あくま)(ばら)いを祈願します。この鞨鼓舞は約150年前より伝わっているとされ、父獅子、母獅子、子獅子の獅子頭を子供たちが被り、お囃子の演奏によって舞われます。
 

菱沼鞨鼓舞

 
神事(しんじ)
 神事とは神を祭る行事のことです。今回はその中でも無形文化財として生活に結びついた行事を取り上げます。これらの行事は、現世利益、生活の安定を求め行われます。
 
・貴船神社の御神的(おまと)神事
 御神的神事は、毎年一月四日に山田地区の貴船神社で行われます。起源は、慶安四年(1651)といわれています。徒歩(かち)立ちで弓を射る歩射(ぶしゃ)方式で、その年の豊作の吉凶を占います。祭典は、祭主・村役・年当番等が参列し、多数の講中・氏子等のもと、年当番の受取・盃の儀が古式に則って順次進められ、酒を三杯勧めることを七度繰り返す七献(しちこん)をもって神事は終了します。なお、この祭事に使用する弓・矢・弦等は福を招き、禍を除く護符として、信者に分与されています。
 

貴船神社の御神的神事

・武射神社夏越(なごし)の神事
 夏越の神事は、毎年6月の最終日曜日に武射田地区にある武射神社で行われます。夏越の(はら)えとも呼ばれ、田植えが終わり季節の交替に当たって、邪神をはらい災を除く年中行事の一つです。祭事は、昇殿者が神前に設けられた真菰(まこも)のござに座り、二人の介添え人が挙げる輪をくぐり、この二人が声高く「水無月の夏越の祓えする人は千歳の命のぶと云うなり」と和歌を朗読する間に斎串(たまぐし)を神に供えます。一般参拝人は鳥居に設けられた()の輪をくぐり、茅麻(ちま)(へい)で身を祓い清められ、撫物(なでもの)と云う人形で身を撫でてもらい参拝を行います。

武射神社の夏越の神事