牛川人骨 東京大学人類学教室蔵
この化石人骨は、前年五月、牛川町の石灰岩採石場で爆破作業をしたところ、赤土の中からニホンムカシジカ・タヌキ・ハタネズミなどの獣骨と一緒に発見されたものである。この時の従業員の一人、田中伝(つたえ)氏はこの骨を牛川小学校教頭の石川一美氏に届けた。骨を受け取った石川氏は、当時、渥美半島の伊川津(いかわづ)遺跡で発掘調査をしていた東京大学の鈴木尚(ひさし)教授に鑑定を依頼した。昭和二十四年に岩宿(いわじゅく)遺跡が発見されて以来、無土器文化(旧石器文化)に関心を寄せていた鈴木教授は、これらの骨の中の一つの骨片に注目し、一年半にわたる綿密な研究の結果、衝撃的な発表に踏み切ったのである。
旧牛川鉱山の人骨発見現場
こうして、豊橋市から出土したわずか一〇センチ足らずの人骨片が、わが国の考古学・人類学上の重要な発見ということで世間の大きな関心を集めることになった。
発見された人骨は、左上腕骨の中央部で長さ九・六センチ、二つに折れて発見されたが、骨片の折れ口が新しく内部に赤土が入った跡がないので、割れ目に埋まっていたころはもっと長く完全な骨であったと推測される。しかし、鉱山経営者の西郷一夫氏の全面的な協力にもかかわらず、残念なことにこの時の発掘調査ではこれ以外の人骨も石器も出土しなかった。
発見された上腕骨は、骨太で、腕を上げる三角筋(きん)の発達が悪く、骨が前後に扁平(へんぺい)であるという特徴がある。また、復元した骨片は約二三センチであった。この数字から他のさまざまな人骨との比較をもとにすると、身長は一三五センチほどで、成人の女性であろうと推定される。現代人に比べるとずいぶん身長が低い。
さらに、この発見から二年後の昭和三十四年二月、同じ場所で、紅村弘(こうむらひろし)氏が成人男性の大腿骨(だいたいこつ)の破片を採集し、牛川第二人骨と名づけた。この骨片から推定される身長も一四九センチほどであった。
この二つの人骨の特徴を考えると、身長が低く、ネアンデルタール人との類似点も多いが相違点もあって、頭骨が発見されないとはっきりどのタイプの人類であると断定はできない。しかし、二つの人骨の発見された場所が更新世の新しい地層であるので、新聞発表のような原人と呼べるほど古い骨でないことは確かである。現在までの研究では、牛川人は上表のように人類の進化の上でみると、旧人に属する五~八万年前の人類で、今のところ、わが国で発見された化石人骨の中では最古のものとされている。
地質区分 | 年数 | 人類 | 遺跡 | |
完新世 (沖積世) | 新人 | |||
更新世 (洪積世) | 1万 | 三ケ日・浜北人 港川人・葛生人 | 萩平遺跡 岩宿遺跡 | |
3万 | 旧人 | クロマニヨン人 牛川人 ネアンデルタール人 | 野尻湖遺跡 加生沢遺跡 馬場壇A遺跡 | |
15万 | 原人 | 北京原人・ジャワ原人 | 高森遺跡 | |
80万 | 猿人 | |||
鮮新世 | 400万 | アウストラロピテクス |
人類進化の過程 三河教育研究会「歴史指導資料」より |