嵩山の蛇穴

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 今から約一万二〇〇〇年前、最後の氷期が終わって気候も温暖となり、人々の生活も大きく変化した。このころから二四〇〇年前ごろまで続いたのが縄文(じょうもん)時代である。この時代は約一万年間という長さなので、使われた縄文土器の特色から表のような六期に区分されている。
縄文時代の時期区分
草創期約12,000年前~
早期約 8,000年前~
前期約 6,000年前~
中期約 5,000年前~
後期約 4,000年前~
晩期約 3,000年前~約2,400年前

 縄文時代になると、採集・狩猟・漁撈(ぎょろう)の生活のなかで土器の使用も始まった。こうした生活様式の変化は定住生活が進んだことを反映しており竪穴(たてあな)住居と呼ばれる住居が数棟集まって共同生活をするようになった。しかし、縄文時代早期のころまでは、旧石器時代と同じように岩陰(いわかげ)や洞窟(どうくつ)暮しもおこなわれていた。
 豊橋地方の縄文時代早期の遺跡と考えられている嵩山蛇穴(すせじゃあな)遺跡も、そうした洞窟に営まれた遺跡の一つである。嵩山町の本坂峠付近は石灰岩層が広く分布しており、いくつかの鍾乳洞(しょうにゅうどう)が見られる。そのうちの標高一四〇メートルの斜面に南向きに開口しているのが嵩山蛇穴遺跡である。この遺跡は天然の石灰岩の洞窟を利用して営まれた住居遺跡であり、入り口は高さ一・三メートル、幅三・五メートルとやや狭いが、少し入ると天井も高く、かなりの広さがある。現在でも、ここからさらに七〇メートルほど奥まで入ることができる。

嵩山蛇穴 入口

 この遺跡は、昭和十六年から二十二年にかけ、計四回の発掘調査がおこなわれた。調査の結果、洞窟の天井が崩れて土器などの遺物が埋まっていることや入口に平らな床面をつくっていることが判明した。
 出土した遺物には、縄文土器の破片や石鏃(せきぞく)・石斧(せきふ)・磨石(すりいし)・たたき石などの石器、骨角器(こっかくき)などがある。この他に当時の人々が食べた動物や鳥の骨、貝殻(かいがら)も見つかっている。発見された縄文土器には、草創期、早期、前期、中期のものが見られた。草創期のものは、縄(なわ)を土器の表と裏に押し当て表裏押圧(ひょうりおうあつ)縄文と呼ばれる文様を付けた土器で、今から約一万年前のものである。これは豊橋市域から出土した縄文土器の中で最も古く、愛知県下でも豊田市の酒呑(しゃちのみ)ジュリンナ遺跡から出土した土器に次ぐ古さである。早期のものは木の棒に刻みをつけ、それを回転させて楕(だ)円や山形の文様をつける押型文(おしがたもん)土器で、約八〇〇〇年前のものである。この他には、厚さが薄い前期の土器や、竹を半分に割ったもので文様をつけた中期の土器が出土している。なかでも、早期の押型文土器が一番多く発見されていることから、この遺跡は早期を中心にした遺跡であることが確認された。

嵩山蛇穴遺跡出土の表裏押圧縄文土器
豊橋市美術博物館蔵

 また、この遺跡では貝殻が多数出土している。海で採れるハマグリ、ハイガイ、カキなどのほか、川で採れるシジミ、陸にいるマイマイまでが含まれており、旧石器時代には確かめられなかった漁撈活動が蛇穴の縄文人たちによっておこなわれてきたことがわかる。さらに、縄文時代の遺物以外にも、弥生時代、奈良時代、近世にかかる遺物も発見されており、この遺跡は各時代を通して人々の暮らしや信仰の対象にもなっていたと考えられている。
 この嵩山蛇穴は大変貴重な遺跡であるため、昭和三十二年(一九五七)七月、国の史跡に指定された。