年貢は農民個人に対してではなく、「年貢村請(むらうけ)」といってその村全体に対して賦課された。このように、村方三役を中心に村のことは村自身で責任を持つ体制を村方自治という。
村方三役の他に、農民を統制・支配するため五人組制度があった。「五人組帳」の前書では、組内部の租税の滞納や異教徒・犯罪人の相互監察についての連帯責任などをとり決めている。
小松原村五人組帳
寛政4年 1792 東観音寺蔵
領主の財政基盤をなす土地とその土地の耕作責任者は検地によって把握されるが、耕作労働者まで把握できない。耕作人口の維持は絶対である。そこで、逃亡・逃散(ちょうさん)の防止や他領への奉公禁止などの人口流出防止策の強化と、キリシタン禁制の徹底をかねて寺院の組織を利用した寺請(てらうけ)制度を設けた。
この制度は、すべての人々がいずれかの寺院に属するように定めたもので、これをまとめたものが「宗門人別帳」である。内容は戸主以下家族・奉公人の名・年齢と所属寺院が書かれ、戸籍の役割を果たした。また、村人は結婚・奉公・旅行などで村を離れる時、寺の証明書(寺請証文)が必要であった。
領主は「慶安御触書(けいあんのおふれがき)」や「五人組帳前書」などを通して百姓のあり方を自覚させるとともに、五人組仲間で相互規制させ、村役人の指導と統率によって支配を実現しようとした。
このように、村方自治として村全体や五人組に共同責任を負わせることは、少ない役人数で村を支配できることにつながり、領主にとっては好都合なものであった。村方自治とは、農民を利用して村を支配する方法であったといえる。
五人組帳前書
五人組帳前書には、組内部の相互監視や連帯責任などのほか、日常生活にいたるまでこと細かに記載されている。享保十五年(一七三〇)の清須新田五人組帳から、そのいくつかを紹介する。
一、百姓は、耕作第一の事に候。(中略)独身の百姓長くわずらい、または幼少にて親にはなれ耕作できぬ者あらば、庄屋・組頭立ち合い、村中より助け合い、荒さぬ事。
一、食物大切につかまつるべし。飢饉のときを考え、常々、大豆・小豆・大角豆・芋の葉などむざと捨て申さず、心を付け、ため置き候ようにつかまつるべき事。
一、衣類の儀は、かねておおせ出だされ候通り、木綿の外男女とも一切着用つかまつるまじく候。(後略)
一、聟(むこ)取り・娵(よめ)取りの祝儀、衣類・諸道具分限よりずいぶん軽くつかまつり、もちろん寄り合い候節大勢集まり、大酒つかまつるまじく候。(後略)
一、捨て子かたくつかまつるまじく候。(後略)