長澤蘆雪と正宗寺

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 嵩山(すせ)の正宗寺(しょうじゅうじ)は、長澤蘆雪(ろせつ)の絵画を数多く所蔵していることで有名であり、別名「蘆雪寺」としてその名が全国に知られている。正宗寺は鎌倉時代の永仁(えいにん)年間(一二九三~九九)に創建された。東三河でも指折りの名刹(めいさつ)であり、江戸時代には徳川家から朱印地三六石を受領して強い勢力を誇った。
 正宗寺の旧方丈障壁画作品群は円山応挙(おうきょ)の高弟長澤蘆雪が描いたものである。「波涛図(はとうず)」「楠に鶴図」「蘭亭曲水図(らんていきょくすいず)」「西園雅集図(せいえんがしゅうず)」など旧方丈障壁画四五幅が昭和五十六年に国の重要文化財に指定された。

長澤蘆雪 「波涛図」 正宗寺蔵

 蘆雪は宝暦三年(一七五三)、丹波国篠山(兵庫県)の藩士上杉和左衛門の子として生まれたが、後、淀(よど)藩長澤家の養子に入った。長じて京都に出て円山応挙(まるやまおうきょ)に学び、個性的表現で頭角を現した。
 三〇代には南紀の諸寺院に屏風(びょうぶ)・襖絵(ふすまえ)などの大作を残している。四〇代の円熟期には松江・広島などにおもむき、厳島(いつくしま)神社などにも傑作を残している。
 正宗寺に残る障壁画は、師円山応挙の紹介により住職の住まいである方丈を飾る目的で描かれたものである。蘆雪が当地に来た記録がないことから、正宗寺で直接描いたのではなく京都から画を送ってきたものと考えられる。