新居関所の創設は慶長六年と推定され、当初は幕府直轄であったが、元禄(げんろく)十五年(一七〇二)吉田藩主久世重之に委任され、それ以後、代々の吉田藩主が管轄した。
歌川広重「狂歌入東海道 荒井」 新居関所史料館蔵
ここでは東海道を往来する旅人や荷物を改めたが、「入り鉄砲に出女」といわれるように、とくに江戸へ持ち込む鉄砲などの武器と大名の妻子・家族が江戸から出ることを厳しく取り締まった。
江戸時代の人々が旅に出る時には、往来手形と関所手形を携行しなければならなかった。関所を通る時、男子は所持する往来手形の調べだけであったが、女子は特定の発行者による女手形を関所に提出する義務があり、手形がなくては絶対に通ることができない定めであった。新居関所を避けて本坂通(姫街道)を通ろうとしても気賀に関所が設けられており、やはり関所を通らないで旅を続けることはできなかった。
女手形 豊橋市美術博物館蔵