敗戦

328 ~ 328 / 383ページ
 すべてが破局に向かうなかの八月六日、広島に原爆が投下された。続いて九日には長崎へ。その前日ソ連が参戦した。戦うすべを失った日本はポツダム宣言を受諾(じゅだく)し、連合国に無条件降伏した。
 昭和二十年(一九四五)八月十五日の正午、全国民は昭和天皇の玉音(ぎょくおん)放送を通して日本の敗北を知った。
 はじめ、誰もが半信半疑で事態をのみ込めなかった。降伏の事実がはっきりしてくると、なかには悔(くや)し涙を流す者もあれば、徹底抗戦(てっていこうせん)を叫ぶ者もあった。しかし、おかたの市民は戦争が終わった安心感と、先行きの不安感が交錯する複雑な気持ちを整理することに手いっぱいであった。
 この日のことを花中町のKさんは「わが町羽根井」の中で次のように述べている。
 「放送を聞いて、正直ほっとしました。ああ、これでやっと終わる。これで、焼夷弾攻撃もなくなると思ったのです。しかし、在郷(ざいごう)軍人から日本軍が中国でやってきた残虐(ざんぎゃく)なことを聞かされた時、アメリカ軍が日本に来て、同じことをするのではないかと思い、不安でいっぱいになりました。」
 敗戦という厳しい現実を思い知らされるのはもう少し先のことであるにしろ、強い陽射しを受けて白く乾いた真夏の昼下がり、市民の張りつめた気持ちはしだいにゆるんでいった。

中部日本新聞 昭和20.8.15 白井文夫氏蔵